ブログを始めた当初は英語のスパムコメントしか来ず、誹謗中傷であっても母国語に触れてみたいと切望していたのですが、最近のコメント欄は日本語で溢れかえり、何とも隔世の感に堪えません。「?」マークがあるコメントには基本返すように心がけてはいますが、それ以外の感想コメントには返したり返さなかったりすることがございます。それはただの気まぐれであったり、返し忘れであったり、単純な見落としの場合もございます。何か特別な意図でもって特定の方を無視しているわけではございませんので、ご留意の程よろしくお願いいたします。
ただ私自身が少し気がかりに思っていますことは、スパム排除機能を掻い潜ってくる英語コメントのことであります。おそらくは弾き漏れだとは思いますが、外国の方がガチでお悩みを吐露してきた可能性も否定できません。今までは文面が英語だった時点でゴミ箱送りだったのですが、これからは一通り文面を精査した上で、
「I am dangerous neet」
「Let's do the now-now-method!」
とでも返してみようかと検討しております。
さて、今回は久々のお悩み相談です。この度の相談者さまはnaoさんです。
初めまして、管理人様みなさまおはようございます。
わたしも色々なサイトを見てはすぐ現実に戻され
いつもの日常になる毎日です・・
こちらのサイトを見たのは何かの縁かと思い書き込んでみます。
ぽちょきむさんのコメント読んで理解はできるんですが
エゴが言う所の「所有」という概念が出てくるんですよね。
目の前にない持ってないないじゃん!!
と、言うとこでつまずき苦しんですんですよね。
「既にある」というのを頭ではわかっていたって結局のところ
望んでる生活になってみても現実が何も変わらないっていう・・
有名掲示板でも似たようなコメントを見かけますが理解できずに終わる事が多いです。
わたしも気づいてみたいし附に落ちたわーと言ってみたいです。
一般的な「所有」という概念は典型的なエゴの関連付けであります。例えば、店頭に並んでいる物でも、お金を払って購入した時点で「所有」になります。これはエゴによる商法に則った関連付けでありますが、物そのものには何の変化もございません。自分が所有したと思った瞬間に、その対象物に「潜在スピ子所有」と刻印されるわけではないのです。人間関係も同様で、告白が成功するなどお互いの同意があって初めて異性を「所有」したと思うだけで、恋人になったからといって、腕に黒歴史確定の「相合傘マーク」のタトゥーが自動で入るわけでもありません。
物、人、いずれの場合にせよ、エゴは現実をトリガー(根拠)として、対象そのものは何も変化していないのに、それを取り巻く現象でもって「所有」と認定しているのです。しかし、スピリチュアルの原理から言えば、現実というものは過去の内面の投影であります。ですので、一見、エゴ的には「現実→所有」と見える流れであっても、実際のところは、既に内面で作った(描いた)「所有している」という現実を改めて五感で受け取る「(内面で)所有→現実」という構図になるのです。つまり、本来は内面に描けた時点で「所有」なので、現象化される以前から既に所有していたことになります(厳密には、エゴで言うところの「所有している状態」が在るという感じです)。
以上のことを踏まえれば、現実に見えないからといって、内面の決定権を現実に明け渡すことがどんなに不毛なことかおわかりになるかと思います。しかし、他の廃人の方々同様、naoさんのお悩みの根源は、「所有」という概念に絡んだ上記のようなスピリチュアルの仕組み(「自分=世界」)への根本的な不信感から来ているものかと思われます。
しかしながら「既にある」というのは、その「自分=世界」、言い換えれば内面至上主義を前提としていますので、少しでもそれを実感、または知識として理論構築していないと、なかなか腑に落とすことは容易ではないかと思われます。ですので、「既に在る」という言葉にだけ囚われず、まずは自分の内面(在り方)が世界に投影されているということをメソッドを通じて理解していくところから始める方が無難であると思います。
「既にある」というのを頭ではわかっていたって結局のところ
望んでる生活になってみても現実が何も変わらないっていう・・
仮に上の一文に正しく「既にある」を適用すれば、「望んでいる生活」で完結です。後ろの「なってみても現実が何も変わらない」は出てくる余地もありません。なぜなら、内面(真実=世界)で既にその状態にあるわけですから、その子飼いである現実にその判断を委ねるという発想が出てこないからです。
まあ、何かを腑に落とす必要もありません。自愛でゴり押しても願望は叶いますから、naoさんご自身がしっくりくるアプローチを採用してください。