…連続投稿記録(土日を除く)の継続に既に挫けそうな自分にいます。ガチ〇職の頃は時間が有り余っていたので楽勝でしたが(むしろそれが本業のような感じ)、今では半〇職でいろいろと環境が変わっていることもあり、もう息切れの予感です。『HUNTER x HUNTER』の冨樫先生ですら10週(10話)も頑張ったんだからと自分を鼓舞しているのですが、『こまけぇ(こたぁいいから、願望実現しようぜ!)』第二章の先が思いやられます。
ということで前回(「あたなの世界に他人の世界は介在できない」)の続きとなります。
一つ質問なのですが、
他人に意識がないというのは、
本当にないのでしょうか?
それとも確認しようがないから、そういうことにしておこうということでしょうか?
自分の認識だけしかないのなら、例えば前記事で仰っていた、身バレの心配なども全くする必要が無いと思うのですが… 他の人にも意識があると思っているからこそ身バレを恐れているのでは…?それとも身バレ云々はジョークだったのでしょうか)
この後半部分、
>自分の認識だけしかないのなら、例えば前記事で仰っていた、身バレの心配なども全くする必要が無いと思うのですが… 他の人にも意識があると思っているからこそ身バレを恐れているのでは…?それとも身バレ云々はジョークだったのでしょうか)
に対する返答ですね。
まあそこまでお待たせするようなものでもなく拍子抜けするような返答にもなりますが、私が身バレの恐れている理由はただ私が業界人ではなく“ごく一般人の生活”をしているからです。つまり日常においてブログを書くこと以外にこの業界に顔を出すことはなく、世界とは分離したままの一人の人間として生きているからであります。ここで読者の皆さんは「なぜお前は願望を叶えておきながら、この業界から足を洗ったんだ?」と疑問にお思いでしょうが、恥ずかしながらその理由は私が煩悩の塊だからという他ございません。
私は煩悩を満たす快感が大好きなタチで、煩悩を満たすとはつまり求めていた対象(不足)を獲得することです。つまり煩悩を満たすためには対象(他者)を必要とするわけで、その対象を認識した時点で自己もまた同時に芽生えるわけです。それを業界用語で一体化した世界からの「分離」などとも言いますが、その分離した(不足がある)環境がすなわちこの俗世(人間世界)であり、私はそんな俗世で一人の人間として生きることが好きというか、自分という人間でありたいと思っているんです。つまり、
>「自分の認識だけしかないのなら、例えば前記事で仰っていた、身バレの心配なども全くする必要が無いと思うのですが…」
との部分に対してスピ的に噛み砕いて言えば、自分が創造した世界の中で私というエゴを切り離し、そのことで他者を生み出して(他者の意識を勝手に創造して)、彼らと遊んだり、彼らに怯えたり、彼らと愛し合ったりする刺激を味わっているということになります。
悟りの境地に達した不感症の仙人ではなく人間として生きているわけですからそこには人間として制限されたルールが課されるため自由に空も飛べないですし、身近な人が亡くなれば悲しみを発動することもあります。でも私はそんな喜怒哀楽に翻弄される欲まみれな人間という存在でありたいのです。ですから世間体もありますし、身バレも恥ずかしいのですが、そうした刺激のある環境に身を置くこと望んでいると言った感じです。その恥ずかしさという感情が生まれることこそがありがたく、私という人間の源泉でもあるわけなんですね。
まあそんな風に意識して生きているわけでは決してないですが(人間として恥ずかしいものは恥ずかしいというだけ)、スピ的なロジックとして説明をすればそうなってしまうということで、まあ簡単に言えば自作自演ってヤツです。
元来、私がこの業界に入った経緯もエゴの願望を叶えるためであって、そのためには認識の変更(自分=世界)というヤツが何やら必要らしいということでそうした体感系のアプローチも学習することになりましたが、もはや願望さえとっくに叶ってくれていればそんなものに手を出す必要もなかったですし、たまたまコツを掴んでしまっただけでその「自分=世界」の体感なんてものも私に取っては願望を叶える一つに手段に過ぎず、それ以上でもそれ以下でもありません。それはおそらく読者の皆さんの大多数もそうなのではないでしょうか(いや、俺は24時間常に賢者タイム状態の仙人になりたいんだと豪語される方、比叡山か高野山に行かれることをオススメします)。
だからと言ってこの業界を経た私が過去の自分と同じかと言われればもちろん違います。一通り全ての願望は叶いましたし、この業界での知識や経験、体感は今の私の生活にも無意識に根付いております。もちろん「今今メソッド」や「アファメーション」という技を繰り出すことも、潜在意識や引き寄せの法則という概念すらも意識の上ることもありませんが、あえて言えば完璧認定のような心境に自ずとなっていますね。世界は私に優しい、味方だといった感じの。流れのままに身を任せているとでもいいましょうか。自然に煩悩がうずけば、当然それを満たそうとします。
そもそも論、私がこのサイトを立ち上げている時点で私が煩悩の塊だということがお分かりになるかと思います。読者という目に見えない他者を想定した上で、その読者に何かをお伝えしてホクホクしたいという煩悩を満たしているわけですから。ですからこのサイトも私の煩悩を満たす行動の一環であり、皆さんはその肥しだったのです。