みなさん、メリークリスマス、良いお年を、明けましておめでとうございます。次の更新がいつになるのかわからないので、先にまとめてご挨拶させて頂きました(毎年やっているような…)。
前回の記事が今年最後の投稿になるかと思いきや、読者のさらさんから最後っ屁と言わんばかりにご報告のメールを頂戴いたしましたので、それを共有させて頂きます。
はじめまして。こまけぇさん。
いつも楽しくブログ拝見させていただいておりました。
私事ですが、突然の認識変更ができたことを報告したく、メールさせていただきました。ちょっと私の紹介をすると、引き寄せ難民11年、ありとあらゆるメソッドを試し、引き寄せの達人で知らない名前やメソッドはおそらくないレベルに等しいです。
たぶんスピリチュアル検定なんかあったら東大でも入れるんじゃあないかと思います。それはもう気が狂ったように四六時中そのことを考え、勉強していましたから。
さまざまな心理セラピーやワークショップにも参加して、新刊を読み漁り、とにかく現実を変えようと努力しまくる日々。気づくとワーク中毒になり、叶った夢や叶わなかった夢も同時に存在する中、自分の幸福感は一貫して変わらず低いまま。楽しいと死にたいと1日交互で繰り返し、引き寄せを知ったからこそ沼に入り慢性うつ病を発症。もう死んでしまいたいなんて思ったことも何度もあります。そんな私が、ふと認識の変更が叶い、心の霧が嘘のように晴れ、今は何があっても何がなくても幸せ。現実の証拠があってもなくても何も関係なかったんだ。ということが急に肚落ちしました。
そう。本当に外の現象は関係ないんです。
何があったかというと、私は恋愛でいつも繰り返す問題に心を支配されていました。
相手を変えても変わらない。誰と付き合っても満たされない。
というか、現象は相手によってさまざまだけれど、その度に心で感じている不安感や孤独感は常に同じで一貫してそこにあること。
ずーっと幸せになれないメンヘラ女子でした。例えば、Aくんと付き合ってみて、感じた孤独感があるとする。例えば連絡がうすいとか、あんまり自分に時間を割いてくれない。とか。
それが嫌で別れたとします。次に、連絡がまめでたくさん会ってくれるBくんと付き合ったとします。最初はすごく満たされているんだけど、時間が経つと、Aくんのときに感じていた孤独感と全く同じ感情がまたふつふつと湧いてくるんです。
一緒にいるけどゲームばかりしてる、とか
話しても相槌ばっかりで話を聞いてくれてる感じがしないとか。結局Aくんにない要素を持ったBくんと付き合ったのに、私の満たしたかった孤独感は解消されなかったんです。
普通の人だったらここで、相手が悪いんだ、となりますが、引き寄せや潜在意識、さまざまな精神世界を気が狂ったように勉強し、潜在意識大学ならぱ東大出(よくわからん)の私はもちろん違います。
こんな現象を起こしている私に問題があるんだ。と。
そこから沼のような自己探究という名の自分責め(←※ここ大事)が始まりました。
インナーチャイルドやら幼少期の親との関係、父親の育ち、母親の育ち、祖父母との関係や先祖の呪い、しまいには過去生リーディング...とにかくこの孤独感がある理由を探し続け、
小さい頃の自分をイメージで癒しましょう、やら
両親の愛は無条件の愛ではなかったんだ、と他人のせいにしてみたり、これは過去生のカルマだ!と存在するのかもよくわからないもののせいにしてみたり、よくわからないワークショップで逆立ちをしたまま呼吸させられたり、とにかくとにかく必死でした。(逆立ちしてまでどうにかしたかった自分が愛しすぎる)そんな日々を変わらず過ごし、心も体もボロボロ。何が楽しくて生きてるのかわからない。そんなある日、ふと、とあるYouTuberが本を紹介している動画をみました。
その本は数年前に読んだことがあって、正直この界隈の皆さんならよくわかると思いますが、結局本なんて何を読んでも、書いてあることの中身はすべて同じなんですよね。
ただその動画を見つける数時間前に、部屋を掃除していたらたまたまそれと同じ本が目に入っていたので、なんだか運命的なものを感じて、本当に聞き流すレベルのBGM程度に流しながら、アイコス吸ってぽけーっとしてました。
そこで耳に入ってきたのが
「この世はみんな自分を演じている」
というワードが脳に引っかかる感覚がありました。こんなワード引き寄せ難民からすると聞き飽きすぎてるはずなのに、頭に引っかかるような感覚がしたんです。
演じている?
じゃあ今自分はどんな役を演じているんだろう。
私って私をどういう役に定義してる?
私は、私のことをどう感じている?こんなこと散々やってきたはずなのに、今回はこの質問を投げかけながら、視点が違うことに気付きました。
まるで、外から自分を客観的に眺めているような感覚。
いわゆる神の視点🟰メタ認知というやつです。
そのときハッとしました。
私は、愛されない女、という役を自分に与えていたことを。
あれ?私思いっきり自分を不幸な女定義してないか?自分の目に悲しいフィルターをかけて、目に映るもの全て物悲しくみえるように設定してない?
そりゃ幸せになれるわけねーわ。だって思いっきり不幸な女役だもん、これ。まるで自分が映画監督になって、私という女優にその役を演じさせていたことに気付いた感覚でした。
今までと違うのは「視点」が違うこと。
女優側の視点からだと、認識の変更はできません。だって不幸な女として役を与えられている演者に、幸せになれ!なってみろ!と言われても権利がないので逆に困惑するか、一瞬なれても居心地が悪く結局元に戻ってしまいます。
たぶんアファメーションや、なるができない人はみんなこの女優側の視点に立っています。
なので、監督側の視点に立つんです。
そうすると、女優と一体化せず、女優に役の変更を指示できます。
幸せな女役を演じてください。と。そうすると、あんなに理解できなかった認識の変更が一瞬で叶いました。
急に心が満たされて、とてつもない安堵感。
その時気付きました。あぁ、私は現実の証拠が欲しかったわけじゃなくて、ずっとこの安心感が欲しかったんだ。と思いました。
この安心感は、現実の証拠をいくら積み上げられても得られるものではありません。
一瞬ごまかせても、外軸で感じる幸せは、必ずいつか崩れるからです。
欲しかったものは自分の内側にしか存在しない。その意味がやっとよくわかりました。今でこそ、達人さんたちの言っている意味がよく理解できます。
いわゆる悟り、や瞑想でいう自分を客観視することの重要性とは、メタ認知のことだったんだなぁと。
私が11年気づかなかったことは、視点を変えること。
自分を外から見る神様のような視点で、常に見てあげてください。
そして、どんな役を与えているか感じてみてください。
そうすると頭に浮かぶ思考の声も、感情もすべて客観的にみることができます。
どんな役を与えていたかに気づけます。そしたら、演じたい役を与えてあげてください。
とにかく大切なことは視点。
常に一歩引いて、自分をみる。そして、なりたい役を与えてあげること。
そのあとはそれになりきって、フリをして生きればいいんです。
現実は必ずあとから勝手についてきます。というかここまでくると、現実がどうとかどうでもよくなってきます。笑
私にできたので、皆さん必ずできると思います。
長々とすみませんでした。
それもこれもこまけぇさんと読者の皆様の体験談のおかげであります。
どうかこんな支離滅裂な文面ですがコピペしていただき、こまけぇさんブログの存続に少しでも貢献できれば幸いです。ここから好きな人生を創造していきたいと思います。
本当にありがとうございました。
さらさん、ブログの存続に貢献して頂き、ありがとうございました。