元SMAPの草彅剛さんが知らない間にガッツリ「youtuber」になっていたんですね。例の如くYouTubeさんがまた何の脈絡もなく私のホーム画面に『ユーチューバー 草彅チャンネル』なるものをねじ込んできまして、その紹介文には「どうも、はじめまして! ユーチューバー草彅です! これから動画をアップしていくので楽しみにしていてください!」とあり、どうせ誰かがイタズラでつよぽんを名乗って炎上商法をかましてるんだろうなとチャンネルをクリックしてみますと、本人が登場している動画が列挙されているではありませんか。一連の騒動で地上波からは半ば締め出しをくらい、ネットの方へ軸足を移したとは聞いていたのですが、まさか稀代のアイドルがユーチューバーへと転身していたとは「諸行無常の響きあり」ということでしょうか。
ユーチューバーとは皆さんご存知の通り〇職の派生語であります。つまり、つよぽんは私の同胞ということで、彼にエールを送るべく動画一覧から『【体力測定】本気でチャレンジ!つよぽんの体力年齢は?』という動画を再生してみました。感想を申し上げるとですね、
……ジカンヲカエセ
冷静に考えれば四十過ぎたオッサンが部屋で一人体力測定をしているだけの動画ですから、逆に面白ければそれはそれで異常なわけで……。何だか視聴後に複雑な感情が湧き起こってしまいましたが、何はともあれ、つよぽんの今後の活躍を祈りまして〇職チャンネルに移りたいと思います。
今回は恒例のお悩み(質問も含む)相談室です。この度取り上げますのはひかりさんのご質問です。
時間は流れてないとか今があるだけとよく見かけます。今があるだけとは、今が何度も何度も現れているだけということでしょうか?時間はつながってなくて「今」だけがあると。現実というのは過去に内面の「今」で選んだものが、現れているってことでしょうか?と、いうことは、今内面で決めたり感じたりしたことが、またこの先の「今」に現れてくるってことですか?
以上は「『今』という世界の製造工場」という記事に頂いたコメントなのですが、当ブログでは「今」という言葉が頻出するわりに記事としてメインに扱ったのはこの一本のみで(たぶん)、私ももう少し「時間」について書こうと思っていた矢先の実にグドゥタイミングなご質問でありました。ただ、ご質問の内容自体には私としても特に異を唱える部分はありませんので、少し文面に肉付けするような形で私なりの考えを書いていこうと思います。
時間は流れてないとか今があるだけとよく見かけます。今があるだけとは、今が何度も何度も現れているだけということでしょうか?時間はつながってなくて「今」だけがあると。
これもよく考えてみればわかることで、過去や未来といったものを今(現在)体験できませんよね? 例えば10分後を体験するにしても、今から教会でお祈りをして「冒険の書」に書き込み、リセットをした上で今度はまた10分後から始められる別の「冒険の書」を再開するというドラクエのような世界観で私たちは生きていませんよね? ずっと意識(=世界)は途切れることなく常に今であり、時間軸でいうところの10分後も、それを体験するのは10分後の今なのです。ただの景色の移り変わりに、私たちは時間という概念を持ち込んでいるだけなのです。
現実というのは過去に内面の「今」で選んだものが、現れているってことでしょうか?
そして、この景色(現実)の移り変わりを創造したものが仰る通り時間軸でいうところの過去の自分(内面)で、それがタイムラグを経て世界に投影されているということです。この目の前の現実は既に既製品(過去の内面)であり、可変不能なのです。ただ注意して頂きたいのは、それ自体には何の意味もなくニュートラルだということです。その現実が「今(この先)」の自分に何ら影響を与えるものではないのです。それなのに、エゴ(思考)が勝手にそこに様々な解釈や関連付けをすることで「今」の主導権を現実(過去)に明け渡し、未来に「〇〇しないといけない」という時間軸を採用しては現実に引きずられた不足の世界を作っているのです。
現実からの反応である在りもしない過去や未来に意識を飛ばすことなく、ニュートラルに現実を眺めることがスピリチュアルで言うところの「今(別の領域)」であり、そこから何のしがらみもなく
今内面で決めたり感じたりしたことが、またこの先の「今」に現れてくる
のです。厳密に言えば、時間軸はなく常に「今」「今」…という瞬間がずっと続いているわけですから、「今」決めれば「今」その瞬間からそのような世界に移行するということです。
ひかりさん、少々ややこしいですが、以上が「今」や「時間」についての私なりの解釈となります。