私が5日間もマガジンの下でゴキちゃんを漬け続けていた(前回参照)のには、元来の先送り主義に加え、それを正当化し得る小さな打算が働いておりました。私の母親には普段から何の断りもなく私の部屋を清掃するという習性がありました。私はこの「母親あるある」を利用して私の関知せぬ間にゴキちゃんを始末させようと画策していたのです。しかし、どうも人生というやつは天の邪鬼で、こういう時に限って母親はなぜか私の部屋に侵入せず、学校から帰宅するとマガジンは依然そのままなのでした。そういった状況下で、さすがの私も5日に渡ってゴキちゃんと同じ空気を吸っているのは気味が悪くなり、とうとう重い腰を上げて彼(彼女)とケリをつける決心を固めました。
120時間も食うや食わずで頭上からの圧迫を受けているゴキちゃんです。当然、遭遇時よりは弱り果て、あわよくば屍になっているのではという淡い期待を寄せながらも、私は油断を押し殺し、殺虫剤を片手に恐る恐るマガジンを持ち上げてみました……。
え!?
何とゴキちゃんはマガジンと自分との間に空間が生まれた瞬間、5日前と遜色のないスピードで部屋の隅へと駆けていき、書棚の裏に隠れてしまいました。私も殺虫剤で追撃したのですが、想定を超えた展開に一呼吸アクションが遅れ、取り逃がしてしまいました。
長期間の絶食にも耐えられる彼らの生命力には開いた口が塞がりませんが、何よりもここで驚嘆すべきは、
そのメンタル。
この5日間、いつ訪れるとも知らない解放の瞬間を信じて待ち、その時が来ればすぐにでもフルスロットルに入れられるその身心の準備、怠りのなさ。驚きを超えて、もはやリスペクトであります。格闘漫画『刃牙道』の主人公、範馬刃牙がゴキちゃんに「これはこれは…お久しぶりです…師匠…」と語りかけていましたが、私も彼らから忍耐という言葉を学び、ひいては森羅万象が師であると気付かされたのでした。
以上の教訓でもってゴキちゃんについての話を締めようと思っていたのですが、上記のようなことを書いているうちにふとゴキちゃんに関連したある引き寄せめいた体験を思い出しましたので、ついでにそのことをお話ししたいと思います。ただ、現時点でさえゴキゴキと連呼して読者に不快を強いている上に、以後の話ではさらにR指定がもう一段階上がります故、私としましても心苦しいばかりでございます。食事中の方はくれぐれも慎重に記事をスクロールされるようご注意お願いします。
前述のように私はマガジンの上から体重をかけてゴキちゃんを圧死させることもできないような(床にエキスがつきますので)、彼らに対してはかなりヘタれた人間でありました。元々、昆虫自体を苦手としており、その昆虫界のビッグスターでもあるゴキちゃんには接近すらままならず、殺虫剤がなければ私には荷が重すぎる相手でした。そのような事情から私はかねがねゴキちゃんの恐怖から逃れたいと願っていたのです。
大学生になったある夏のことです。私は飲食店でアルバイトを始めることになり、その勤務初日に社員から諸々の説明を受けた後、さっそく業務に就くために更衣室へ案内されました。既に私のロッカーも用意されてあり、鍵を受け取った私は制服に着替えるべくロッカーの扉を開けてみました。するとその中では、ベビーゴキちゃん2匹が仲良く這いずり回っていたのです。その光景に思わず後ずさりをして「ゴキブリ…」と呟いてしまった私に、社員がさらなる追い打ちをかけてきました。
社員「お、ここは少ないな」
〇職「ファ!?」
確かに足元を見てみますとそこら中にベビーゴキちゃんが蠢いており、私はこの時点でこのバイト先にサヨナラを告げることを心に誓いました。しかし、その場でリタイヤを言えるはずもなく、とりあえずは言われるがまま勤務に就いてみますと、他のバイトの女の子たちの可愛いこと可愛いこと。私は師から受け継いだ忍耐の二文字をもって、もう少しがんばってみようと決意いたしました。
それでもやはりゴキちゃんは来る日も来る日も容赦なく私のロッカーを急襲し、多い時では6、7匹が同居している有り様で、そういったルーティンの中で私の感覚も次第に麻痺していき、気づけば私のゴキちゃんに対する条件反射的な拒否感が薄れていたのです。
引き寄せ成功……?
なるほど、「願望実現≠幸せ」とはこういうことだったんですね(震え声)。それにしても「潜在意識さん、力業過ぎんだろ……」という気もしますが、それはまた、潜在さんがエゴ(思考)の及びもつかない筋書きを用意していることの証左であり、現実への一喜一憂が徒労であるということの裏付けでもあります。