アルファポリス

「今」にある 「自分=世界」 俗に言う「認識の変更」編 自愛

現実と妄想の境を使い分けるダブルスタンダードのエゴさん!!

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音楽皆さん、こんにちは。では時間もないので、さっそくコメント欄を覗いてみましょう。

コマ先輩、読者の皆様、初めまして。
こちらにコメントするのは願望が実現してからと思っていたのですが、
どうしても教えていただきたく、コメントしています。

私の願望は既婚者との恋愛です。初め私はかっこいいなくらいにしか思っておらず、
仕事で会う機会が増えてから、相手が私に気があるんじゃ?と思うことが結構あり
私も気になるようになりました。それから、二人で食事に行く機会が出来て、
そういう関係になりました。

 ※こちらのブログに辿りついた時期と、仲良くなってきた時期が一緒です。
  ユーモア溢れたブログで毎日楽しみにしていました!
  当時、特に願望として何かを考えたりとかはしていませんでした。

その後も会ったり、電話が来たり仲良く出来ていたのですが、ちょうど私が彼と
仕事で直接会う機会がなくなり、私自身も段々『次はいつ会えるんだろう?』
『会う気あるのかな?』『男性は関係持つと興味を無くすとか言うし。』など、
徐々に気持ちがマイナスになっていきました。そのせいか、次に会う日がなかなか決まらず、
態度も前と違うように感じてました(結局、会えました)

上の状況は私の疑いや不安な感情が実現したんだろうと思っているので、
また当初のルンルン気分のようになろうとしても、エゴが出てきます。
と言うか、ルンルン気分を瞬殺して、ネガな感情が滑り込んでくるので、
そういう時は『無』にしているのですが、これでも良いんでしょうか?
それから、気分を軽くするために自愛も兼ねて、
『私がこの男性を意図的に引き寄せた覚えは全くなく、寧ろ私の方が引き寄せられた』
なんて思ったりしています。

 ※コマ先輩のお風呂場での「なる」もしています!

電話もしたいのですが、初めは電話しちゃおう♪くらいの明るい気持ちなのに、
実際かける寸前になると、『態度が微妙だったらどうしよう』
『こう考えるということはかけない方が良いのかもしれない』
『いやいや、願望は体験すべき(体験すると決まっている事)だから電話して良い!』とか
エゴ(女子高生の会話ですか?)が出てきますが、こういう時はこのエゴを無視して、
自分が思うまま(電話したい)に動いて良いんでしょうか?

また、よくYoutubeなどで潜在意識系の音楽がアップされています。
コメントには恋愛成就に溢れてます(全てが事実とは思いません)。
コマ先輩は、こういう音楽にも力があると思いますか?
叶ったコメントを見て、これは間違いない!!と確信からの実現なのでしょうか?

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結局仕事のことで電話せざるを得なくなりかけました。
あまりテンションが上がるものではなかったですけど、コマ先輩が前にアドバイスされてたように、自分のしたことは完璧だったんだと責めないようにしています。

毎回思ってしまうのですが、特にこの彼とどうこうなりたいとか思ってなくて、上記のような関係になれたのです。
それなのに、今また前の良い感じに戻れるように、(ネガティブな感情を持ち始めた前の)良い感情の時に戻ろうとしたり、願望が叶ったイメージをしてるのに特に動きはないんです。
現実を気にしてはいけないのは分かってるんですけど、なぜ具体的な願望を持ってない時にラブラブを引き寄せて、願望持ってる今が落ち込む感じなのか、なんだかよく分からなくなってしまいました…
コマ先輩は勿論のこと、読者の皆さんも認識の変更出来てて羨ましいです!


サラさんから以上のようなコメントを頂きました。

まずは、

現実を気にしてはいけないのは分かってるんですけど、なぜ具体的な願望を持ってない時にラブラブを引き寄せて、願望持ってる今が落ち込む感じなのか、なんだかよく分からなくなってしまいました…

この部分なのですが、月並みな考察ですけど、単純に願望を持っている時は基本は不足の状態なのでそれが現実に投影されやすいですよ。つまりスピ的には矛盾のない現象です。逆に願望がない時は不足もなくただ流れに任せているような状態なので、充足が勝手にやってきます。

ということで、ざっと目を通させてもらった感じでは、どうやらスピ脳に陥ってしまっているようですね。このスピ脳とは結局、エゴ脳と表裏一体で、因果を前提にした世俗的なアプローチと何ら変わることがありません。「『お金がないと』幸せになれない」が「『いい気分にならないと』幸せになれない」へ前の句が衣替えしただけで、本質としては何も変わっていません。

結局は「~だから~とならない」「~すれば~となる」という認識が根底にある限り、不足がどうしても日常になってしまいます。確かに内面を充実させることは間違ってはいませんが、どうしても現実を見ながらではうまくいかないことが多いです。実際にルンルン気分でもネガがすぐに入ってきて瞬殺されているようですし。

では、なぜネガが入ってくるとダメなんでしょうか? おそらく「ネガ=内面が不足=叶わない」といった構図を意識に描いているからでしょう。これはエゴの関連付けですね。だからエゴはネガを恐れているのです。ではどうすうればいいかと言えば、言うまでもなくネガではなく、この関連付けの構図にアプローチするんですね。

まずは「ネガ=内面が不足=叶わない」という無意識の関連付け(思考)に気付きましょう。思考ですからこれも反応です。どこかのスピチャンネル(当ブログ?)から仕入れてきた実体のないものなんです。それを採用しているからそうなるわけで、ここでそれを突き放すのです。「アンタ(思考君)何言ってんの? ネガは出てくるんだから仕方ないじゃない。何で勝手に出てくるものに私が責任取んなきゃならないの。ソイツと私は無関係。私はただ何があっても幸せになるんだから」。こんな感じです。

これは完璧認定でもあり、攻撃的な自愛でもあるのですが、とりあえず無意識の関連付けに気付けばいいんです。気付けばそれに捉われて世界を創造していたことにも気付けますし、想像に気付けたのなら後は制限なく主体的に幸せを選択するだけです。

それと認識の変更という言葉に重みを持たせないことですね。そんな曖昧な概念を絶体に条件にしないことです。この言葉自体に功罪があるように最近は思えてならないのですが、理想の自分になりたければ、ただそれを受け入れる、選択するだけです。

ちなみに皆さんは、理想だった自分であった過去はありますか? 仮にないという方にお聞きしたいのですが、それでも夢や欲求があれば、それを達成した理想の自分があるはずですよね。なぜ今まで体験したことがない理想の自分がどうして頭に描けるのでしょうか? それは想像や妄想ですか? 描いた瞬間「今」嬉しい気持ちになりますね? その充足を感じれたことは嘘じゃないですよね? それは想像でもなく「今」叶った自分が在ったわけです。それを誰が妄想だと言っているんですか? 友達ですか? 違いますよね。エゴが嘘だと瞬時にレッテルを貼るんですよね。でもエゴって現実と結託したただの反応ですよね? 何で反応如きに叶った自分を遮断されなきゃならないんでしょう。腹が立ちますね。ダメな自分に関しては妄想を現実とするのに、理想の自分に関してはやたらと謙虚に妄想だと抑えつける。ダメな自分と理想の自分とで妄想と現実との境を使い分けているダブルスタンダードの名手、エゴちゃん。何なんですかね、コイツは。

最後に音楽なんですが、これもその人が音楽でもサイババの言葉でもそれを聴けば願いは叶うと関連付ければ叶うでしょうし、逆もまた然りでだと思います。

 

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