- このトピックは空です。
-
投稿者投稿
-
-
邦ゲスト
そもそもこの認識が不味いのかもしれませんが昔からそういう気があって・・・
何物にもなれませんでした、子供の頃は絵が好きだったのに、もう一度と思って書こうとしたら描けんかったよ
ああ、鳥山明先生のような才能は無いんだよなと落ち込む。
一方で社会になじめなくてもアーティストとして活躍してる人見ると羨ましいなって思う、
絵が取り柄だと思ってたのに、取り柄ですらなかったなら何が残ってるんだろう。
そんな経験ないですか?? -
よつばゲスト
質問の答えになっていなくてごめんなさい。
何かリラックスできることをして気持ちが落ち着いてきたら、
「何者にもなれなかった自分」「才能が無いと落ち込む自分」「他人を羨ましいなと思う自分」を俯瞰するように、距離を置いてみてはどうですか?で、「何が残っているんだろう?」と考えることも少しだけ休んでみませんか。(今の心理状態でこの問いかけをしても、「何も残っていない」にしか帰結しないと思われます)で、こうして一つ一つ「体に染みついて、当たり前のように感じているもの」をやめていくと、才能豊かで眩しすぎる他人よりももっとすばらしいものが自分の中にあることに気づけるかもしれないですよ。「何者かになりたい」という欲求からも解放されるかもしれません。
-
オセロパンダゲスト
映画『デューン 砂の惑星PART2』が公開中のようですが、デイヴィッド・リンチ版の『デューン/砂の惑星』を初めて見たときに思ったのは、主人公ポールのように覚醒したいということでした。『リミットレス』という映画の主人公にも憧れました。とてつもない問題解決能力を獲得して苦しみから脱した存在になりたいと長年思ってきました。しかし、現実は真逆のことばかり・・・
最近は、自動思考が止まり始めて願望自体があまり湧かなくなり、刺激されても劣等感が反応することも減ってきています。何者かになりたいという思考・願望自体が起こらなくなってきました。
-
那ゲスト
当たり前ですが問題は自分の中にあるのですねお二人共達観してますね
-
Mmゲスト
もう誰も見てないかもだけど。
自分も同じで、絵が自分の取り柄だと思ってたのに、めっちゃ上手い子を目の当たりにして、自分の才能のなさを悟って、そこから描けなくなったなー。
もがいて無理に描こうともしてたけど、それ以前の時間を忘れて夢中で描いていた頃には未だに戻れてないな。
自分も何者かになりたいってずっと思ってきたけど、最近いよいよ現実に愛想がつきて(鬱陶しい、遅い、規模が小さい笑)。
そしたらなんか、何者かになりたいって想いも他の願望も、勝手に選ばされているというか、自分にはまるで責任のないことのように思えてきて、必死に叶える義務なんかないんだって気付いたなあ。
今までは、自分のためにも周囲のためにも絶対叶えてあげなきゃ!とか思い詰めてたのに、今は叶っても叶わなくてもどうでもいいなあという気がしている。
願望のために何かを強いられるのに嫌気がさして笑
でも内面ではなんでも叶うんだなあーって変に納得したよ。現実より内面って言われてるのがよく分かった。明らかに現実より内面の方がいいじゃん、って(シンプル、速い、規模がでかい)。
まあ、実際は内外に差はないのだろうけど、今まで現実重視だったから、今度は内面重視で、そのうち中庸になるのかもしれない。
という独り言でした。
独創的な他にないスレ立てありがとう。
-
-
投稿者投稿