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願望実現「野村ID(理論)」編

「私」という言葉の世界 ~牛丼屋にて~

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牛丼昨日、夜遅く何年かぶりに某牛丼屋に行ったのですが、知らない間に券売機が多言語化されていました。なるほど、店内を見渡してみると店員2人に数組の客がいたのですが、いずれも外国人でした。もはや店内において和テイストな部分は私とメニューだけというカオスな空間の中で、私はもう一度券売機に目をやり、ある感慨に耽っていました。「あの時に、こいつがあったなら……」

 

10年程前でしょうか、私はあの日も同様にこの牛丼屋の暖簾をくぐりました。すると券売機の前で長身の白人男性に寄り添うように1人の店員が何やら英語で熱心に商品説明をしていました。当時の券売機は日本語表記のみで、その人の良さそうな男性店員のオモテナシに私はいたく感銘を受けていたのですが、どうも当の白人男性の表情がさえないのです。私は耳を傾けました。

「ぎゅうライスorぶたライス……?」

(……全部を訳さないことを前提として、その上でどちらかを訳すとすれば、全ての丼に共通している『米』の方ではなく、見た目の違いがわかりにくい『牛』か『豚』の方ではないだろうか……)。そのことを進言すべきか否か、私の中で葛藤が始まりました。しかし私は元来の引っ込み思案です。私の逡巡が行為へと傾く前にその白人男性は悲哀をたたえた笑みで店を去り、店員の善意は徒労に終わり、そして私の中に奇妙なわだかまりだけが残りました。「ぎゅうライス……」

言語や文字というものは共通認識の前提があって初めて機能を果たすもので、共通認識がなければ、ただの音声です。つまり言葉そのものは概念であり、言葉から生まれてくるものも当然、概念です。この世界は全て言葉で成り立っていると言っても過言ではありません。全ての事象に名前が付けられ、その名前だらけのルールの中で私たちは生活しています。ルールとはいわば制限であり、幾万の名前によって私たちは束縛されているともいえます。そして、その最たるものが「私」という一人称です。しかし、言葉はあくまでも概念であり、その対象物も概念でありますから、客観的に独立した実体などはないのです。「私」でさえも例外ではありません。

「……ちょ、ちょ待てよ!!」

読者の方はそう戸惑うかもしれません(今回、文字デカくするとこ間違ってます?)。そこで、少しSF的な想像をしていただきたいのですが、もしあなたが何かの面接試験に臨むとして、言語という概念がないプレデターみたいな地球外生命体が面接官であったなら、あなたはどのように自己アピールしますか? 自己とは言い換えれば個人の持つ「過去や記憶」のことです。あなたはどうやって、あなたの「過去」を証明しますか? といったところで、今回はここでお開き。また次回、つーびーこんちにゅーど…。

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