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「自分=世界」 意図

「片想い」は在るのに、なぜ「両想い」はない?

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スピリチュアルの原理を映画に例えるのって誰が言い出したんでしょうか。掲示板にいた達人なのか、本を出している怪しい西洋人なのかは知りませんが、最近になってますます見事な例えだなんて思ったりもしています(まあ、誰でも思いつくか)。

本来の我々は何も映っていない真っ白なスクリーンであって、そこに内面というフィルムを映写しているというヤツですね、確か。違っていたらすいません。で、見たい現実にしたければ映画の物語の中で暴れるのではなく、好きなフィルムをセットすればいいという考え方で、これがすなわち意図ですね。

このフィルムっていくつあるかと言えば、心の中で想像できる全ての映像の分だけあります。例えば好きな人とのデートを想像できれば、それを映し出せるということです。金塊に囲まれている情景も同様です。ただ、当然それらとは逆な映像も思い浮かぶわけで、要はこの中から自分がどれを真実としてスクリーンに映し出すか(「在る」と認めるか)なのです。そして達人が言うことには、この選択を現実に引きずられないでくださいということなんですね。

「在る」とは一体なんでしょうか。机にバナナがあれば、大抵の人はこれを「在る」と認識するはずです。現実に見えてるんで、認識するのに抵抗はないでしょう。仮にないと思った方、あなたはただの偏屈か、または既にゴールに達しています。何のゴールかはわかりませんが。

では恋心はどうでしょうか? 例えば片想い。心なので机の上に転がっているはずもありません。ですが、恋心(方想い)が在るなんて表現もしますし、それを現実にも適用させて好きな人を見ればドキドキなんかしちゃったりします。つまり目に見えない心の現象なのに、真実として在ると認識しているわけなんです。

次に片想いをもう一歩進めて、「両想い(付き合っているという思い)」は在るでしょうか? これもありますよね? 実際にそれが心の中に思い浮かんでいるのですから。

スピ子さん「ないわよ、だって付き合えてないんだから」

○職「なんで同じ心なのに、片想いだけは真実と認定して、両想いだけはすぐに嘘認定なんすか?」

スピ子さん「だから、現実にないじゃない」

○職「そもそも心自体が現実にないでしょう? だったら片想いも本来はないはずですよね」

スピ子さん「私がそう感じているの。胸が痛いのよ、この辺り…(キュン」

○職「そうでしょ? つまりあなたの中で選択して完結してるんです。詰まるところ現実なんて関係ないんです。ただ、現実と辻褄が合うように自分の心の中の充足不足様々にある映像を無意識に取捨選択し、わざわざ片思いの方が目の前の現実に馴染むからと言って、それを真実として採用しているだけなんです。だから、達人らは現実に引きずられないでくださいと言っているんですよ、このバカチンが!」

スピ子さん「わかったわ。当たって砕けろってことね」

○職「ダメだこりゃ」

チャンチャン。

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