なる 「自分=世界」 「自分=世界」

エゴをバグとして捉える

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「なる」のメソッドって、基本的には2つのアプローチがあって、1つは現実を完全に無視するというやり方と、もう1つは目の前に起きた現実全てがなった(叶った)世界と捉えるやり方ですが、本来の真理の構造からすれば後者の方が近い、というか本当にそのままです。前者も行きつく所は一緒ですが、なった瞬間にこの世界のあり様全てが叶っている世界なんです。

でも普通は何が叶ってるんだって思いますよね。目の前にはボロアパートの部屋が広がっていて、恋人もいない。それなのに達人はなった(思った)時点で叶っていると言っている。一体、このギャップは何なんだ。不思議ですよ。

だったら、そのギャップについてとことん突き詰めればいいかとも思います。ただし、達人の言葉(願った瞬間に叶っている)を強固に採用しながらです。どういうことかと言えば、エゴ側にバグがあると決めつけて(実際そうなんですが)、そのバグを探っていく感じです。

つまり「どうしてこれが叶った世界なんだ?」ではなく、「ここは叶った世界。でもエゴはどうしてそれを知覚できないんだ?」という探究心を持つようなアプローチです。

皆さんは達人の言葉の通りに世界を見たいはずなのに、いつもエゴの主張の肩ばかりを持っていませんか? それって裏返せば、不足を見たくて見ていることなんです。エゴって本当にドMなんですよね、再三言っているように。

そうじゃなくて、とりあえずは初めから達人視点で捉えてみる。その上で、エゴのバグの原因を自分なりに考え、ダメ出ししていけばいいんです。するとエゴの正体(虚構性)が違う角度から掴めるかも知れません。

立ち位置の問題です。とりあえずは初めから達人視点で捉えてみる。生活の中でエゴを真実とせず、叶っているを前提(立ち位置)として、その中で湧いてくるエゴをバグとして眺めてみる。エゴに囚われるのでなく、なぜエゴはそんな解釈をするのかと問うてみる。そろそろエゴには説教を垂れてやりましょう。

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