「あ…ありのまま、今、起こった事を話すぜ!『俺はエイジ・カワシマがセネガル代表だと思っていたら、日本のメシア(救世主)だった』。な…何を言ってるのか、わからねーと思うが俺も何をされたのかわからなかった…。頭がどうにかなりそうだった…」
ロシアで行われているサッカーワールドカップ(W杯)。大会前までは予想だにしなかった日本の決勝トーナメント進出。そして、ポーランドとの試合前までには夢想だにしなかったエイジ川島の孤軍奮闘ともいえる大活躍……。
あえて嘲たようなことを書いて活躍のフラグ立ててみたセネガル戦では、彼はその律儀な性格からか、記事をなぞるような珍技を披露し、我々を呆然という谷底へ突き落してくれました。それについては彼の実直な人柄を勘案しなかった私にも責任の一端があり、その反省を生かしてポーランド戦の直前にさりげなく叱咤激励風にトーンを変えてみますと、前半32分のゴールラインテクノロジーをも作動させたあのビッグセーブであります。これはまさに〇職とエイジの連携プレー、その名も「引き寄せの法則」……なわけはなく、これは紛れもない彼の努力の賜物でありましょう。私の下世話な期待を見事に裏切ったその活躍に、ここは素直に称賛と感謝を送ろうと思います。
試合の方は0-1で負けてしまいましたが、セネガルもコロンビアに負けたため、フェアプレーポイントで何とか決勝トーナメントへ首の皮を繋げることができました。終了15分前の日本チームの消極的なパス回しには世界のみならず国内からも賛否の声が噴出していますが、私は確率論を冷静に駆使した西野監督の合理的な采配に対して支持の立場であります。
私も試合を見ていた限り、日本の攻勢によってポーランドから得点を奪い自力で決勝トーナメントへ進出する確率よりも、コロンビアがセネガルからリードを守り切るという確率の方が圧倒的に高いと思えたからであります。メンバーを6人も入れ替えた守備的なシステムな上、強豪国のような一人の個だけで局面を打開できる選手がいない昨日のサムライブルーでは、前者の確率はほぼ無きに等しく、逆にカウンターで失点して万事休すという事態も多いに想定される中では、責任者として取れる選択肢は事実上、他力本願の後者のみであったと思われます。
「こんなのは日本らしくない」「スポーツマンシップに反する」などといった非難の声に私も一定の理解は示しますが、ただこれはサッカーなんです! スポーツじゃないんです! クゥー!!
世界一の競技人口を抱えるサッカーでは、選手やクラブ間の生存競争は熾烈を極め、その中で生き残っていくためには正攻法だけではなく「狡猾さ」、もっと言えば「欺き」さえも奨励されるスポーツなのであります。サッカーを愛してやまない私でさえ、世界中でこれほど野蛮なスポーツはないと確信しているくらいですから。野蛮とは競技中において放出される本能の比重が高いという意味合いで、国家同士で覇を競うW杯は、俗に言われていますようにスポーツの名を借りた戦争なのです。
そのような認識が深く浸透している世界の中で、日本だけがスポーツマンシップを掲げて優等生のように振る舞うことは、真剣勝負の中でただ一人木刀でもって立ち向かうようなもので、正々堂々という武士道的なこだわりが、世界の舞台における日本代表の勝負弱さの根源にもなっていたと私は考えています。そういったことから、今回の西野采配を見て私は「日本もようやく憶せず真剣を手に取ることができたか」という感慨が湧き立ち、25年前の「ドーハの悲劇」に思いを馳せておりました。
そして最後に、そのドーハ戦士キングカズの言葉でもって記事を締め括りたいと思います。
「大きな日本の財産になるんじゃないですかね。勝ちに本当にこだわったやり方。いろんな選択があるなかで、あそこまでの選択があの瞬間できたなと。すごいと思いますね」