我ながらフィクサーとしての自身の慧眼には怖さすら覚えます。一連のセクハラ疑惑の進展で、徐々に財務省の福田淳一前事務次官の人物像が明らかになるに連れ、私はますます彼の芸人としての資質に自信を深めていきました。米山隆一前新潟県知事をトリオの柱に据えようかと構想していたのですが、『週刊新潮』で報じられた女性記者とのやりとりを読んで、その考えを一度白紙に戻すことを決断いたしました。私に再考を促した、その大器の片鱗をここに紹介いたしましょう。
記者「明日早いんですか?」
福田氏「普通、普通だよ。俺、暇だから。仕事ないから」
記者「何してるんですか? 国会見てるんですか?」
福田氏「朝、出勤して、新聞読んで、う〇こして、話聞いて」
記者「最高ですね。今まで頑張ってきたから」
福田氏「頑張ってないよ、よくう〇こするんだよ」
この執拗なまでのう〇こ押しは、変化球の切れ味で勝負をする現代のお笑い界にあって、ストレートの重要性を再認識させるほどの剛腕ぶりであります。しかし、それだけで彼がアドリブの利かない力任せの芸風だと決めつけるのは早計です。彼にとってはモノマネ芸もお手の物で、しかもその対象は男女を問うことがなく、非常に小器用な部分も持ち合わせています。以下がその一例です。
福田氏「すごく好きだって気持ちと、胸を触りたいという気持ちと、キスをしたいという気持ちが、同時に湧き起こっている」
このスイーツ女子の教祖といわれる西野カナが憑依したかのような赤面必死の口説き文句は、最強省庁の事務次官という立場も相まって、我々にビターな笑いを提供してくれます。このように今後のお笑い界には決してなくてはならない存在である福田氏を天下りなどで手放すことは業界の損失でありますので、私もより一層「BUY春りゅういち with G」の結成に力を尽くす所存でございます。
以上、芸能ブログでした。
さて、今回も私が病み上がりという事情もありますが、当ブログの原点に立ち返りまして「こまけぇこたぁいいから」大雑把に言葉を投げてみたいと思います。
前回のお悩み相談の際に、たまたま199さんというアファメーションの匠が登場しましたので、今回はその流れで久しぶりにアファについて書いてみたいと思います。
皆さんの願望実現を阻んでいる一番の原因は、皆さん自身であります。自分とは無力な人間であるという根拠のない思考(記憶や観念=在り方)が常に個人という狭い殻にあなたを幽閉し、本来は創造主(世界)であるはずの自分に制限をかけてしまっているのです。そして、そんな思考がどういった手口であなたに制限をかけているのかと申しますと、驚くなかれ、それがアファメーションなのです。
1日におけるほとんどの場面で人は休むことなく思考を繰り返しています。我々はその思考を言語化し、脳内に響くある種の音として認識しています。そして、皆さんの脳内に流れている大部分の思考は「〇〇をしないといけない」といった不足の音色なのです。その不足をアファメーションのように終日聞かされているわけですから、当然、意識(自分)もそのように染まり、「自分=世界」の方程式に沿って、世界も不足まみれになってしまうのです。
メソッドのアファメーションはこれを逆手に取り、自分の声を聴覚から脳内に大量に流し込むことによって、思考(不足)の音声が入る余地をなくし、意識を充足に転換していくスピ歴の浅い方にも非常にとっつきやすく効果的な手法であります。妥協なく徹底的に継続していけば、否応なく認識は変わっていきます。
また、思考を観察する場合でも、特別視せずただの音声と意識づけることで客観視しやすくなり、思考が現実に反応するだけの音声ガイダンスのようなものだとわかってきます。郵便の再配達を申し込む時の音声ガイダンスに、「俺、初めてなんすよw お手柔らかに」なんて言わないですよね(この例えはちょっと違うか?)。まあ、
思考なんて本当にただの雑音
と、結論付けたところで、お開きでございます。