サッカー日本代表がワールドカップ(W杯)での激戦を終えて、先日帰国いたしました。空港には約800人のファンが詰めかけ、期待値が底辺だった出発時には想像もし得なかった熱烈な出迎えを受けました。この光景を引き出したのは、ベスト16という結果を残した選手たちの健闘はもちろん、突然の就任からチームを見事に立て直した西野監督の手腕に寄るところでもあります。その西野監督が今大会限りでの退任となり、次期日本代表監督候補の噂が頻りに取り沙汰されています。元米国代表監督のドイツ人、クリンスマン氏らの名前が挙がっていますが、「いやいやと、誰かを忘れてはいませんかと」私はプロフェッショナル本田の口調を借りて強く異議を唱えたいと思います。
元プロ野球ヤクルトの捕手だった古田敦也氏が現役時代、選手兼監督として自ら「代打、オレ」と審判に告げて打席に入っていましたが、私はW杯という世界最高の舞台で、
「交代はカズ、キングカズ」
と、三浦カズにそれを再現して欲しいのです。選手兼監督としてW杯で戦うカズの姿を、ドーハ世代(?)である私はまだ諦めていません。
さて、今回はコメント欄で読者のぽちょむきんさんが核心を突くような言葉を綴っておられましたので、それをご紹介したいと思います。
脳は現実と想像の区別が付かず、全て現実として処理してるというのを読みました。
そう思うと、現実として実現してるんだなーと思って、浮かんだ瞬間に実現したらやることなくなりますね…。願望が浮かんだ瞬間にもう、叶ってる自分なのに、そこから減点して叶ってない自分に戻ってるような気もしてきましたが、それすらも実現してるからと関連付けるとなんだかエゴを煙に巻けますね!
自動的に叶うっていうのもなんか分かる気がしました。
まさに端的に願望実現について語り尽くしておられます。
願望の現象化によって受ける喜びや幸せは、内面で叶った場面を想像した時に得る喜びや幸せと意識レベルにおいて何ら変わるものではありません。そのいずれとも内面における「今」起きている現象であり、そのトリガーとしての現実や想像の違いはあれど、その内面現象は世界(真実)そのものであります(「自分=世界」)。
つまり、内面が本当の「今」であり真実であるわけですから、ぽちょむきんさんの仰る通り、頭に浮かんだ時点でそれは既に在って(叶っていて)、放っておけば内面の付属物である現実もそれを基点にして構築されていくのです。
しかし、私たちのエゴは既に叶っていることを認められないのです。なぜならエゴは現実真理教の狂信的な信者だからです。どうしても現実という尊師の顔色を伺いながらでしか内面(真実)を形成できず、現実と齟齬のある内面状態を容認できないのです。想像し終えた(既に叶った)直後から内面の基準がすぐに現実に戻り、現実と相容れない充足をことごとく削ぎ落としていくのです。ぽちょむきんさんの言葉では「減点」であります。
充足を現実という刃で削ぎ落としているわけですが、この刃(現実)自体も内面の解釈であり実態を有さないものですから、この削ぎ落としているように見える行為さえも実は幻想なのです。少し抽象的な表現になってしまいましたが、簡単に申し上げますと、既に叶っているのに叶っていないと思い込んでいるというだけの話だったのです。
あなたの願望は本当に叶っていないのですか? 意識の軸を現実(幻想)から内面(真実)に移して一度考えてみてください。
意味不明かと思いますが、とりあえずはそんな感じです。