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【読者のお悩み相談室】~原因を探る在り方とは?~

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クイーン先日、今話題の映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見に行きました。伝説のロックバンド「クイーン」と主にそのボーカル、フレディ・マーキュリーを描いたミュージカル映画で、批評家や一般の鑑賞者からの評判がすこぶる高く、クイーンにそれほど詳しくない私でも馴染みのある曲のオンパレードだったので、ストーリーを度外視し、大音量かつ映像付きでそれらの名曲を堪能できるだけでもお金を払う価値はあると言えます。

さて、今回はコメント欄からジュークボックスさんのご質問にお答えしたいと思います。

よろしければ2点ほど質問させて頂きたいのですが、
①こちらのブログや達人スレなど読んでいるときは万能感というか、「世界=自分」が分かった気になるのですが、朝起きぬけや(良い事悪い事問わず)予期せぬ事が起こった時など、世界は思い通りにならないを感じるというか、世界と自分が絶対的に別物(分離してる)だと思ってしまいます。
上記の考えを変えるためには、理論で理解できない場合はとにかく徹底的に「(願いが)叶った自分」を前提として生活してみる、しかないのでしょうか。

②本願とは別に「人に好かれる自分」でありたいと思って、頑張っているつもりでも嫌われてしまう場合、私の潜在意識が嫌われる行動を私にとらせている、という事になるのでしょうか。

①に関してですが、この「万能感」もただの思考による一時的な反応で、自発的なものではないかと思います。それを採用し続け「在り方」にまでもっていければそれでもいいんでしょうが、こういった一時的なものはパッパラパーな人でないとなかなか継続は難しいかも知れません。朝の起き抜けなど、一度意識がリセットされるとそれまでの思考の習慣が再び襲ってくることは、ジュークボックスさんだけでなく、私もそうでしたし、他の皆さんも一概にそうであるはずです。

しかし、これはあくまでも習慣なんですね。つまり自動なんです。能動的に発しているものではありません。コントロールできないものに「自分だ」とレッテルを貼ることは実は奇妙なことなのです。その全自動思考マシーンに自分(意識)を同一化させると、いつもの日常を創造してしまうだけです。ですから、まずはその思考を冷静に客観的に対象化して観察してみるといいです。まあ、そんなに難しいことじゃなくても、なんでいつもこんな思考が湧くんだと不思議がるだけでもいいです。

まずは世界との一体感とかは意識することをせず、ただ思考が自動であることを徹底的に意識していく。そうすれば、思考の渦から脱出することができます。まずはそこ(「別の領域」「ニュートラル」)からです。そこに立って初めて、自分が世界に対してどのように眺め、それをそのまま創造していたかを少しずつ感覚として知れるのです。つまり、主体性(ある種の万能感)を取り戻せるわけです。


思考が渦を巻き、主体性を感じないままに無理やり「在り方」を被せても難易度は高いかと思います(ただ、個人によってそうとは言い切れません)。まずはニュートラルにいるように意識してください。

次に②ですが、正直に言って私には原因はわかりませんし、またそれを探る必要もないと思っております。ただ、嫌われたことを過去の映像だと割り切ってください。原因を探っている在り方とはどういったものでしょうか? そうです、原因を探すということは「人に嫌われた」と自覚している在り方そのものですよね。原因を探しているままだと、それをしっかりとキープしていることになります。

原因を探さない、つまり因果に囚われず、ただ結果だけを選択する。それが本来の正しい在り方です。現実なんて過去の何かしらの思考の残影だと思ってとにかく「あー、そうですか」くらいに受け止めて、「人に好かれている」という自分の在り方の選択だけをぶらさなければいいかと思います。

まあ、これに関してはそこまでスピに繋げなくとも、どんなに人に好かれる人でも全員から好かれるような人は稀でしょうから、一人くらいに嫌われたって、その嫌った方が異常者だと思うようにすればいいんじゃないでしょうか。すいません、こんなことしか言えなくて。

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