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はじめまして 別の領域 「自分=世界」

「願望」が「シナリオ」に変わる時

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複数の読者の方からコメント欄に対するご意見を賜りまして、ハンドルネームがないと対話の際に混乱が生じるということなので今後は何でもいいのでコメントを書き込む際にはハンドルネームの記入をお願いします。それと対話に熱くなる余り他者に対して攻撃的なコメントが散見されるとの意見も頂戴しましたので、投稿する前には今一度文章を見返して過激な言葉を使用していないかを確認し、建設的な対話になるよう努めて頂けるとありがたいです。

ということで本題に入りますが、またまたの引っ張り戦術(意図してません)で前回(「意図を有効化させるために」)の続きです。

そうして様々な設定や制約があるゲーム内のキャラから、そのゲームをしているプレイヤーへと意識の次元が引き上がると、エゴと同化していた時とは湧いてくる願望の性質が変貌していくことになります。…続く。

ここからですね。

願望というものは基本的にエゴの設定を基に不足から発せられるものです。例えば恋人が欲しいとの願望は恋人がいない人にしか生まれてこない願望です。つまり願望とはエゴの存在を前提としたものですが、このエゴが幻と看破した後の本来の自分の立ち位置(自己観察の立場、別の領域)からでもエゴに基づいた願望は生まれてきます。

ここで「いやいや、エゴが幻と見抜いた本来の自分の立場からどうして幻であるはずのエゴに基づいた願望が生まれるのよ?」との真っ当な反乱が炸裂しそうですが、しかしそれはエゴ的な視点によって願望と名付けられただけであって、本来の自分という視点からではエゴの願望ではなくなってしまうのです。

エゴは幻ですが、前回の記事でも言及したようにそれは本来の自分が創り出した実体のないゲームのキャラという意味での幻です。本来の自分の立ち位置視点でもそのキャラに基づいた思考は止めどなく湧いて来るわけです。仙人クラスにもなればそのキャラ(エゴ)さえも抹消できるかもですが、どんな達人でも完全にエゴを失くした境地になった人はほぼいないでしょうし、誰もエンドレスな賢者タイムに進んで入りたいとは思わないはずです(勝手な私の仙人像です)。

少し話がズレましたが、本来の自分はそのエゴを主人公としたゲームのプレイヤーなのです。そのプレイヤーの立ち位置にあると願望というものがエゴの不足から発せられたものではなく、ゲーム全体の設定上、今後の主人公の身に起こるシナリオという形に変質していきます。

厳密には変質ではなくそれが本来のあり様なのですが、普段の我々はゲームのキャラと一体化しているため、そのキャラの初期設定にのめり込み、「ひのきの棒と村人の服しか持っていないワイに魔王なんて倒せるか!」と自暴自棄になってしまいます。

しかしゲームをしているプレイヤーの立場から見るとゲームなんだから王様から「魔王を倒してくれ」と言われた瞬間、主人公は魔王を倒すシナリオなんだな神の次元から理解できるのです(ちょっと例えがズレましたが王様からの依頼を願望が湧いた瞬間と捉えてください)。

願望は何もエゴという我々個人の肉体(キャラ)から発生したものではなく、キャラも含めた大きな意識(ゲーム全体)のストーリーの中から発生しているので、それはキャラの設定(村人装備の自分には無理と言う思考)によって否定されることなく、既に世界に適用されているのです(感覚的な話なので意味が把握しづらいかもですが)。

「でもワイはエゴが幻という知識もあるし、ずっと自己観察とかもしてきたけど魔王を倒せるとは決して思えんぞ。どうやったらゲームの世界から抜け出して画面の前のプレイヤーになれるんだ?」と見た目は村人の主人公(エゴ)は叫ぶはずです。わかります。これを体感として会得するには知識だけではなく、ある程度の実践が必要となります。そしてこれは私の持論なのですが、認識の変更は突然やってくるものではなく、過去にも言及したことがあったかと思いますが、意識の「慣れ」だと思っています。

この「慣れ」についてはまた次回くらいの記事で書いてみたいと思います。

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