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セドナ

「セドナメソッド」について考えてみた!!

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コンビニコーヒー良し悪しはともかくとして、日本は他国よりも性善説がまかり通る社会であります。野菜の無人販売所がその顕著な例で、買い手が必ず代金を収めるということを前提として、その販売形態が成り立っています。ただ、最近ではそういった無人販売所にも防犯カメラが設置されているという話もチラホラと耳にしますので、やはり悪さを企む不届き者は少なからずいるようです。いや、企むと言い切ってしまうのはいささか語弊があるのかも知れません。販売所へ向かう途上では決して窃盗を企図していたわけではなく、しっかりと代金も所持し、生産者へのリスペクトも持ち合わせていたはずです。それが販売所に着き、無人という審判の場に立たされたことで、悪魔の囁きに負けてしまったのでしょう。

なぜ私が犯罪者に対してこうも同情的かと申しますと、私も最近似たような状況に身を置くことが多いからであります。都会で生まれ育った私は田舎を象徴するような無人販売所とは無縁でしたが、図らずも街中でそれを追体験できる場所を見出してしまったのです。

それはコンビニのコーヒーマシンであります。コンビニのコーヒーはレジで清算を済ませた後、受け取ったカップにセルフでコーヒーを淹れるシステムです。私がいつもS(またはレギュラー)でカップを購入し、コーヒーマシンの前に立ちますと、無防備なLのボタンが視界に入ってくるのです。

何だか無性に押してみたい…

これは何も詐欺を働きたいなどといった邪心ではなく、学生時代、校舎に備え付けてあった非常ベルにも感じた一種の背徳感なのです。私はいつもありったけの理性を振り絞り、人差し指をプルプルと振るわせながらやっとの思いでSボタンに辿り着くのですが、ブログの更新が途絶えましたら、とうとう私がLボタンを押してしまったとお考えください。

前置きが長くなりましたが、今回は久しぶりに既存のメソッドについて書いてみたいと思います。そのメソッドとは、タイトルにある通り「セドナ」であります。過去に何度か言及していますが、私自身セドナについてはあまり詳しくなく、この度、記事の材料にと軽くヤフって勉強してきた次第であります。


ほとんどの読者の方はご存知かと思いますが、セドナとは思考(欲求)や感情を手放すメソッドであります。やり方といたしましては、湧いてきた思考(感情)に自問をして「はい」か「いいえ」かで返すドラクエをパクったような手法なのですが、今回の記事の本旨はセドナのエッセンスについて私なりの考察を語ることですので、ここでは詳しい方法は割愛させて頂きます。

セドナとは本来、思考や観念という霧を振り払い、如何に人生をクリアにしていくのかということに本義が置かれていると勝手に解釈しているのですが、ここは当ブログの趣旨の沿いましてあえて願望実現に焦点を絞って話をしますと、これは「既に叶ってる」メソッドではないかという感じがします。

セドナの肝はネガティブ、ポジティブを問わず思考(感情)を手放すことで、その中には願望を叶えようとする思考さえも含まれます。叶えようとするということは、当然叶っていないが前提であります。この前提が世界に投影されているわけです。逆に叶っている状態であれば、もちろん叶えようなんて思考は湧いてきません。つまり、セドナによって叶えようとする思考を手放すことができれば、それは既に叶っている在り方と言えるわけで、その在り方がそのまま世界に映し出されるのです。

……と、セドナについて私から言えることはこれだけなのですが、少しネタを間違えた感があります。と申しますのは、やはりこれは実践した上でないとそのエッセンスを密に語ることができないと書いている途中に気付いたからであります。セドナの効能については他のメソッドと同様、内面の変更を促すものであります。では、どこにセドナの独自性があって、ここまで人口に膾炙しているのかと言えば、私が割愛したところの実践方法ではないかと考えるのです。

テンプレートまで完備されているその自問自答形式のセドナには、実践過程の中に何か大きく内面に作用する秘密があるのではないでしょうか。それはおそらく実践をして初めて得られるもので、私がやりもしないであれこれと書くのは誤読を誘発し、無責任な行為と思えたので当たり障りのない部分だけを書く結果になりました。

それでも実践テンプレートを拝見する限り、かなり有効なメソッドであることは確かだと思いますので、興味のある方はネットなどを参考に試してみてはいかがでしょうか。

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