先日、毎日記事を投稿している自分に違和感を覚えるなんて申しましたが、今ではもうその違和感も吹き飛び、もはやルーティンと化している感すらもあります。どうやら私のブログにストに「なる」メソッドは成功したようです…という調子の良いことを吐いておきながら突然更新しなくなるという事態も十分に予想されますので、話半分に受け取めてください。
前回の記事「(記憶と五感のブレンド作業を止める)」の最後で「はじめは自分と世界との一体感を意識するより、記憶に基づいた自分という存在の不確かさに焦点を当てる方が良いかも知れません」と締め括ってはみたのですが、むしろ「自分(エゴ)という存在の不確かさ」を看破することが体感系のほぼ全てと言っても過言ではなかったですね。
最近のSNS上では財務省をオウム真理教に見立てた「ザイム真理教」という言葉が流行っていましたが、しかし我々業界人に取ってそれよりも忌むべき最悪のカルト宗教は「エゴ真理教」であります。オウム真理教では信者がヘッドギアを装着して教祖・麻原彰晃と同じ脳波を再現した電気を脳内に流すという修行がありましたが、我々に取って脳波を送り付けてくるのが他者ではなく自分自身であるというところがさらに厄介なところです。
オウム信者であればヘッドギアを外せば脳波は止まりますが、我々は生きている限りエゴの脳波(思考)を終日浴びることになります。しかもその脳波は麻原彰晃の脳波というありがたいものではなく、デタラメで埋め尽くされた脳波です。生まれながらに搭載されたフェイクニュースの洗脳装置、それがエゴなのです。エゴは有害無益! エゴは絶対悪! エゴはオールドメディア! エゴは民主主義の敵!
どうですか皆さん、こまけぇ教の教祖がここまで声高に断言しているのですからもうエゴとは縁を切る気にもなったでしょう? え、ならない? 私がおふざけでこんなことを書いていると? いえいえ、かなり本気です。
皆さんはこの業界に入って初めて「既に叶っている(在る)」や「願望=実現」なんて言葉を耳にした時に「んな、アホな」と条件反射し、デタラメとは言わずともにわかには信じがたい気分になったはずです。おそらくその思いは業界に入ってしばらくした今でも胸の奥底に滞留し、エゴの「叶っていない」という声の方に真実を置きがちであろうと思われます。
そこで暇な人に提案なのですが、この機会に一度、業界の「既に叶っている」の教理に全幅の信頼を置きませんか? それを100%の真実として受け入れませんか? そしてそれを真実とした場合、エゴの「叶っていない」という言葉はどうなりますか?
そう、デタラメということになりますね? ただそうは言ってもエゴは自身の周囲を取り巻く環境からそれを決して承服することができません。何とか抵抗を見せようとする。しかし今回はこれまでとは違って「既に叶っている」を真実として全面的に受け入れているわけですから、この「決して承服することができない」という思考すらもエゴはデタラメという結論にせざるを得なくなります。するとエゴはデタラメという結論には達したものの、なぜそれがデタラメであるのかを理解することができないというジレンマに陥り、バグってしまいます…危機に陥ったエゴちゃん、そんな彼が取り得る選択肢はここで2つに絞られることになります。(次回へ続く)