前回の記事のコメント欄でもお知らせしたのですが、コメント欄での「匿名」がNGワードとなりました。ハンドルネームの記入を必須にしたものの、「匿名」と書き込めばそれがそのままハンドルネームになるという裏技があったための処置です。ただ不幸にもそのNGワード設定がコメントの文章自体にも適用されるため、力作の長文コメントがゴミ箱に直行する事態もあり得ますのでご注意ください。加えて中国出身の読者でお名前が「匿名(とく・めい)」さんという方がいらっしゃいましたら、禁止はヘイトではなく上記の理由からございますのでご理解頂ければ幸いです。
ということで前々回(エゴが拘る願望実現の定義)の続きです。
現実教の狂信者エゴちゃん。なぜエゴちゃんはそこまでして現実というものに拘るのでしょうか…(次回に続く)
エゴちゃんがなぜ現実真理教なのかというところでぶった斬ったのですが、これは何も私が説明するまでもなく、そうです…エゴちゃんに取っては現実世界がこの世の全てだからです。
エゴちゃんは現実しか認知できないため、自ずと理想の状況が物理的に現出することしか願望実現と認めることができません。夢やイメージングといった五感を通過しない充足は門前払いです。しかし逆から見ればこれはつまりエゴちゃんにはこの業界の仕組みが全く理解できないことの証左ということにもなります。エゴちゃんは「自分=世界」や「既に叶っている」などが全く理解できない無垢な存在なのです。
よってエゴちゃんが「既に叶っている」が理解できないと喚いたところでそれは全く正常な反応なのです。エゴちゃんには不足の状態から何かをゲットして充足を得るという時間軸を前提とした流れしか理解できないため、時間の概念がなく既に充足に浸かっているという世界を理解できないのは至極真っ当なことなのです。ですからエゴがちゃんが「わからない」と騒ぎ出しても自分を責めたり落ち込んだりする必要は全くありません。それがこそがエゴちゃんのあるべき姿なんですから。理解できる方がおかしいってもんです。
するとここで「だったらどうすりゃいいの?!」とのエゴちゃんの嘆きが聞こえてきそうですが、過去にも散々申しましたように別に理解がなくても願望は叶いますから。例えば皆さんは電子レンジを使用する際にわざわざ電子レンジを解体してからネットで全ての構造を調べた上で再び組み立て直してからようやく温めボタンを押しますか? そんなことはないですよね? 仕組みがわからくともボタンを押せば中の物は温まるとの認識だけで電子レンジを使いこなしているはずです。そのボタン1つの感覚でいいのです。足の裏にできた魚の目を押せば願うは叶う。これです(ちなみに電子レンジを解体する行為が体感系のメソッドです)。
実践を行い(「既に叶っている」を採用)つつエゴちゃんの思考で仕組みを理解しよう(「既に叶っている」への不信)とするから迷走するのです。アクセルとブレーキを同時に踏んだところで前には進みません。ですから理解しようとする行為をきっぱりと止めてしまうのです。わからくてもいい、むしろわかっている方が異常と割り切る。「なるをしたのに何だか実感が湧かない」…はい、それが普通です。エゴちゃんに実感がなくて当然。そのまま続けて下さい。エゴちゃんの「わからない」という思考で以て実践を止めないでください。「既に叶っている」を否定しないでください。エゴちゃんの「わからない」と「既に叶っている」は両立するんです。
それでもなお「わからないまま踏み出すのが怖い。現実に見えていることしか信じられない」とエゴちゃんは叫んでくるかもしれません。しかし仕組みがわからないにせよ、私たちは現実(風景)とはまた別の世界があることを確かに認識しているはずです。それこそがエゴも含めた内面世界です。
前々回の記事で私は現実であろうが夢であろうが「内面の充足」は同じであると言及しました。現実として見えている世界から隔絶し、時間と場所を問わずに叶った世界を想像するだけで充足が湧いてくるその場所。それってよくよく考えれば不思議ですよね。常日頃から行っている内面での想像作業を私たちは当然のように認識して軽視していますが、現実世界のように五感を通さずとも感じられる世界があること自体、何か神秘的なスピリチュアルの息吹を感じるのには十分ではないでしょうか。