「自分=世界」 「自分=世界」 「今」にある

「~だろう」と世界を認識してませんか?

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振り返ると、51日が最後の更新だったんですね。廃墟ブログの感がますます高まってきましたが、なぜそれ以来更新がなかったのかと申しますと、いろいろ理由はあるものの、結局のところは「すっかりブログの存在を忘れていた」に尽きるかと思われます。せわしない日常の中で記憶から飛んでしまっていたわけです、すみません。

しかしこの記憶というものですが、現実世界ではいざ知らず、この怪しい業界では忘れるに越したことがない代物です。記憶とはつまりエゴそのもの(個人を形作っているもの)ですから、こいつが世界を創造する上でいろいろと制限を科してくるわけなんですね。

例えば、ガーシーに会いたいなと思っていても「彼はドバイに住んでいる」という記憶があるため、急に今ガーシーが道に向こうから歩いてきて有名人の極秘情報をあなたの耳元で囁いてもいいはずなのに、「こんな日本の田舎で会えるわけはないだろう」と自分(記憶)がすぐにその可能性を打ち消してしまうわけです。誰も否定していないのに、自ら率先して創造の芽を萎ませているんですね。

この「~だろう」という意識の習慣。これこそがまさに記憶を起点にした認識で、おそらく皆さんの日常の中に染みついているのではないでしょうか。何か現在が過去からの延長戦上にあるという認識は俗世では当然のように扱われていますが、この業界ではご存知のように今この瞬間にだけしか世界は存在せず、この瞬間の認識だけで全ての世界が動き出して行きます(動き出すというか、瞬間的にそうなります)。

今のこの瞬間がゼロポイント(創造できる場所)なのに、わざわざそこでまた記憶を参照して制限された世界を創るなんて、勿体ないことこの上ありません。だからと言って記憶を抹消しろと言うわけではなく、むしろ自発的に抹消しようと思っても無理かと思われます(そもそも考えないという思考停止という方法もありますが)。

ですから、その記憶に基づいてこれまで不足の世界を作っていた負のサイクルに気づいていく。どれだけ記憶に汚染されて認識を制限していたかに気付き、距離を取って、今この瞬間にどんな世界を選択してもいいんだとその自由に気付ていく。自己観察とか難しく考えず、どれだけ自分が記憶というフィルターで「~だろう」と世界を見ていたかに意識的に気付いていくわけです。

どういう風に自分が望むと望まざるとにかかわらず世界を創ってきたか、そこをしっかりと観察していけば、自ずと世界の主導権が自分にあったことに気づけるようになるかと思います。

「明日やろうは馬鹿野郎」ならぬ「~だろうはエゴ野郎」です(ちょっと強引すぎました?)

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