別の領域

「別の領域」もエゴっすよw

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旅人ようやく当サイトがウイルスバスターを販売しているトレンドマイクロ社から「安全」判定を受けました。見る人によっては「危険」そうな分野を扱っていますので、そのような判定が出るのではと危惧し、「別の領域」に浸り、安全判定の引き寄せを実践していました。それがどうやら奏功したようです。ただ、ネットセキュリティー上は「安全」でも、精神衛生上「健全」であるかは保証しかねますので、家庭をお持ちの方はなるべくお子様を近づけないように、椅子の上に立つなど高い位置で当ブログをご拝読ください。

ということで、安全判定を受けるという願望を見事に引き寄せ、少しはみなさんにお手本を示すことができたのではと安堵しております。どうぞ私のテクをご参考に、みなさんも「別の領域」に浸り、遠慮なくどんどん願望を叶えちゃってください。

「別の領域」「別の領域」とさも当然のように記述していますが、この言葉をご存じない方のために説明いたしますと、これは思考を客観視し、「自己」という幻想から脱却した意識のポジションを指す、スピリチュアル用語です。何もバミューダトライアングルやエリア51のような「MMR マガジンミステリー調査班」に出てきそうなうさん臭い領域のことではありません。潜在意識系のサイトなどでは「エゴ」とは別のという意味の説明がなされていることが一般的ですが、私は「別の領域」さえもエゴの範疇であるという解釈をしています。

「別の領域」を当ブログでは「変質者エゴ」と表現しています。これは世間で言われている「別の領域」というものが、普段の自分(エゴ)とは連続性のない、何やら覚醒の境地であるという誤解を与えないために作り出した言葉です。

エゴとは一般的には思考や記憶に惑溺された「自己」のことを指します。つまり、普段の私たちのことです。ここから思考や記憶という実体のない幻想を見抜き、それらを削ぎ落としたものが「別の領域」と言われている在り方なのですが、やはりそれすらも認識している主体があるわけです。認識し、対象化していないと「別の領域」という概念や言語も当然出てこないのです。

「自己」という小さな個人を脱却してワンネス体験をしたとしても、そこには「世界は自分だ」と感じた「自分」がいるわけです。自分というわけですから、そこにエゴの残り香があるわけです。私はその残り香を靴下と表現し、思考や記憶という衣服を脱ぎ捨てても靴下だけは残るという意味で「変質者エゴ」と命名しました。

中にはエゴを全て消滅させて、深い賢者タイムに突入した人がいるかもしれませんが、そうなると意識の主体が存在しませんので、願望が実現したところで認識できないでしょう。当ブログは基本、願望実現を果たし、歓喜の小踊りを体験したい方に向けて書いていますので、そのような境地は必要としていません。

巷間では自分(エゴ)ではなく「別の領域」が願望を叶えるなんてことも囁かれていますが、「別の領域」とはエゴの延長線上にあるわけですから、叶えているのはエゴです。「別の領域」とは何も神秘的な仙境を指すものではなく、あなたそのものなんです。あなたが主体的に叶えるのです。ここではないどこかへと胸を焦がさないでください(by GLAY)。本来は「別の領域」に浸らなくても、エゴまみれの今のあなたが叶えちゃってもいいのです。

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