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人生に伏線なんていらないんすよw ~「スリー・ビルボード」鑑賞記~

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フィルム遺憾の極みでございます。昨日、1月3日から継続していた1日1回はブログを更新するという、〇職である私が自戒を込めて自身に課した社会的奉仕が、わずか1か月で呆気なく途切れてしまいました。途切れたところで世の中への影響は皆無なのですが、薄皮一枚で残っていた私の細やかなひたむきさも、とうとうニートサイドへ屠られてしまいました。ブログニストを自任する身としましては忸怩たる思いですが、ニート・ベイダーを脱却すべくリスタートを切りたいと思いますので、今後ともよろしくお願い致します。

そもそもなぜ昨日、ブログの更新が途切れたかと申しますと、昼に起きてすぐ映画館に向かい、鑑賞後には買い物をし、その足で落ち合った知人と酒を酌み交わした挙句、帰宅したのが23時過ぎという〇職らしからぬ充実した一日を送ってしまったからです。

出不精の私が久しぶりに映画館に足を運んだ理由は、アイルランドの劇作家、マーティン・マクドナーが監督と脚本を務めた「スリー・ビルボード」という作品を見るためです。演劇界において世界最高の劇作家の一人であるマクドナーが制作した長編映画3作目で、ゴールデングローブ賞では主要4部門を獲得し、アカデミー賞の最有力候補にも挙げられています。マクドナーは私が監督名だけで無条件に映画を鑑賞する3人の中の1人で、その上に大変な評判作ともなれば、これはもう見るっきゃありません。

当サイトは映画評論ブログではありませんので込み入った批評は避けますが、おおまかな紹介としましては、娘を殺された主人公の母親が、小さな町の道路沿いにある3枚の大型看板を借りて捜査の進まない警察を批判したことに端を発する、町で起こる人々の愛憎を米国の社会的イシューを交えて予測不能なプロットで描いたヒューマンドラマです。マクドナーは劇作家なだけにそのストーリーテリングは巧みで、作中にしっかりと張られた伏線を、ユーモアと葛藤でもって終局へと回収していく手練は見事であります。

ただ、映画ではストーリーにおける矛盾の有無が一つの評価の目安となりますが、私たちの現実の人生においては矛盾を解消したり、伏線を回収する必要などはありません。

「なる」の記事でも説明したかと思うのですが、私たちは普段、意識せずとも「自分」になっています。これは映画の登場人物におけるキャラクターみたいなものです。映画であれば最後までその人物が一貫したキャラ設定で行動することが物語に説得力を持たせますが、私たちの住む現実世界では「自分」が過去にどんな記憶や観念を持っていようが、今後も継続してそれらに縛られたアクションを起こす必要などはないのです。

今までのキャラ設定に不満があれば、「今」変えればいいのです。「いや、でも過去の伏線があるし……」などとエゴが騒ぐかも知れませんが、伏線回収という幻想が必要なのは映画の中だけです。映画は1コマ、1コマを繋げたフィルムがストーリーとなっていますが、この現実世界では「今」という1コマ1コマが独立してパラパラ漫画のように入れ替わっているだけです。前の1コマが次の1コマに影響を及ぼすこともないですし、わざわざ影響を受ける必要もありません。矛盾や因果関係を恐れず、「今」大胆に好きな1コマを演出すればいいだけなのです。

ちなみに「スリー・ビルボード」は個人的にはお金を払って見るに値する映画だと思いますので、興味のある方は自己責任で映画館へ足をお運びください。

 

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