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別の領域 「自分=世界」

夢という「自分=世界」体験装置

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昨日、私の夢の中にフワちゃんが出て来ました。…そうです、あのやす子に暴言を吐いて芸能界から放逐されたあのフワちゃんです。夢の中で私はフワちゃんとご飯なんかを一緒に食べているわけなんですが、現実では一度もフワちゃんと会ったことがないにも拘らず旧友のように親しく談笑をしていて、そのことに私は何の違和感も感じてないんですね。まさにこれは夢あるあるです。

しかも夢というのはどうも厄介なヤツでして、皆さんもご経験があるかとは思いますが、目覚めた時に夢の出てきた人物がやけに愛おしく感じる現象が発生したりします。で、その現象に今回も私は襲われまして…恥ずかしくもフワちゃんに対して愛しさを感じてしまったのです。しかもちょっと可愛いなんて思っちゃったりもして。確かに夢の中でのフワちゃんはテレビで見ていたよりもずっとまともな服装で落ち着いた印象ではありましたが…にしても夢から覚めて30分ほど「フワちゃんがあんな目に遭ったのはやす子のせいだ」と理不尽レベルに肩を持ってしまったのは不覚でした。

そもそもなぜふわちゃんが私の夢の中に出て来たのか、仮にふわちゃんの身に何かあったとしても存在すらも知らない私に虫の知らせを寄こすわけでもなし…は! もしかするとフワちゃんは現状に行き詰まった挙句、私のサイトにたどり着いた廃人ユーチューバーと化している可能性もありますね。フワちゃん、万が一私の読者であるならコメント欄で私や他の読者に「おまえは偉くないので、〇んでくださーい 予選敗退でーす」とか書き込んで荒らさないように。

というわけで夢というのは登場人物がランダムすぎて理解の範疇を超えていますが、しかしこの夢の中における感覚こそがまさに「自分=世界」の感覚そのものとも言えます。

たまに夢の中の視界が一人称視点ではなく三人称視点になったりすることがありますよね? あれです。私という自己(エゴ)を持ちながらも、自身やフワちゃんが食事をしている空間全体を俯瞰(客観視)している視点。それがまさに「自分=世界」の感覚です。その視点では私やフワちゃんという個人は消滅し、人間や料理や家具などの全ては情景の一部として等価値に混ざり合っています。その情景全体=自分という感覚、それこそが本来の私たちの姿(意識のみ)なのです。

これは全てが自分に内包されているという感覚でもありますが、むしろ目が覚めている現実世界のエゴにおいては「全てが外側」という意識を持った方が感覚を会得しやすいかもしれません。その辺りのことはまた次回になります(フワちゃんのパートの方が長いという…)。

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