この暑さは今年限りの異常気象なのか、はたまた温暖化という地球崩壊への序曲なのか。私が仕入れた情報によりますと、セミだけではなく蚊も35度を上回ると木陰などで憩いを取り、気温が下がった夜を狙って活動を始めるそうです。これは実にポエムニストの習性と酷似しており、私の場合は33度を超えると部屋に閉じこもり、日が傾いてから買い物などに出かけたりします。しかしながら、日没前の西日の過酷さも度を越えており、私も近くのコンビニに向かう途中でそれを全身に浴びてしまい、少しばかり現実認識能力が低下したかと思われる事態に陥りました。と申しますのは、交差点で信号待ちをしている車列の中に『ドミノ・ピザ』のバイクが縦に3台並んでいる光景が薄らぐ視界の中に入ってきたのです。
おそらくは私の脳の錯覚だと思われるのですが、もしもこれが現実だったとすれば一体どういった解釈を施せばいいのでしょうか。偶然の鉢合わせ? 大規模パーティーへの宅配? それとも、どこかの波止場で行われている業界トップ『ピザーラ』との全面抗争に「ジェットストリームアタック」(ガンダム参照)で馳せ参じる途上だったのでしょうか。謎は深まるばかりです。
さて、今回は毎度お馴染みのお悩み相談(質問も含む)です。ご相談者はkuroさんです。
○職さん
ちょっと質問です。
他のまとめとかでたまに「感情を感じきる」的な話が話題に出てくるのですが、このことについてどのようなお考えをお持ちか教えていただけませんか?望まない現実に反応してネガティブな感情が湧いてきた時、無理に抑え込まず「感じきる」ようにしましょうと。そうしないと同様な望まない現実が「再配達」されますよ。的な話です。
「関係ない」と関連付けをしなければそれまでのことなのかも知れませんが、ココ数日現実でメチャクチャムカつくことがあり、この感情となかなかうまく折り合いがつけられていません。それだけではなく更にそれに上塗りをするようなことが続いています。このままムカつきっぱなしで良いもんなんですかね?
ちょっといい感じになってきてたんですけど、ココのうまい切り抜け方が判らず少し悩みがちです。
この「感情を感じ切る」とはスピリチュアル業界では達人語録の一つとして人口に膾炙しているもので、廃人の方ならば一度は耳にしたことがあるフレーズではないかと思われます。ただ、私自身はこの「感じ切る」という行為(メソッド?)には余り興味がそそられず、故にこの行為を奨励している達人の真意も深く見聞していませんので、その真意が如何なるものかは存じ上げませんが、その言わんとしているところは私なりに凡そ見当がつきますので、それをここに開陳したいと思います。ただ、達人の真意と食い違う部分があるかも知れませんので、ご了承ください。
業界では一般にネガティブな感情は観察やスルーが推奨されていますので、この感じ切るという行為にはある種の矛盾、背徳感を感じてしまうのではないでしょうか。つまり、感情を感じ切ることでそれが内面に満ちてしまい、その内面が現実を引き寄せるのではという恐れです。
しかし、私たちが感情でもがき苦しむ要因は、実はそれを受け入れたからではなく、抵抗することにあるのです。なぜ、抵抗するのかと言えば、ネガティブな感情が願望実現の妨げになるのではという関連付けを行っているからです。「ネガティブな感情に構っちゃいけないわ。構うと実現が遠のいちゃうのよ。あー、それでもネガティブの波が押し寄せてくるー! ちょっと誰か助け……(ごぼごぼ)」と。そもそもこうなってしまうのは、叶えるためにという不足を前提にした在り方だからであります。
つまり、叶っている(叶う)が前提であれば本来、湧いてきたネガティブな感情に願望と関連付けて抵抗するということはせず、それを感じ切ろうが切るまいが、観察しようがするまいが、感情に対していちいちメソッド的なアプローチは取らないのです。その感情にネガティブというそれ以上の意味付けをせず、ただその時々の気分で処理するだけです。まさに流れるがままです。
この所謂「再配達」のメカニズムを私なりにこじつけて申し上げれば、不足が前提の廃人は、ネガティブな感情を常に恐れ警戒している在り方なので、それがそのまま世界へと投影され、感情に脅かされる現実が繰り返されるということではないでしょうか。そして、感情を感じ切るというのは、そこへ飛び込み触れてみることで抵抗(関連付け)を失くし、その在り方を改めて負のループを断ち切るアプローチだと思われます。感じ切るとはありのままを受け止める、つまり全肯定です。故に自愛なのです。自愛の在り方に変わるわけです。
ただ、私的にはkuroさんも仰るように「感情を感じ切らなければ再配達」ということも含め、全ての関連付けをポイしちゃえという考え方ですので、在り方として充足という芯を外していなければ、猛烈に怒ろうが騒ごうがそれさえも叶っているを前提にした現象となりますので、「このままムカつきっぱなし」でも「うまい切り抜け方が判ら」くても特に問題はないかと思います(これも自愛的なスタンスですが)。