アルファポリス

「自分=世界」 セドナ 今今メソッド 俗に言う「認識の変更」編

認識の変更はただの慣れ説

更新日:

私は長年、廃人をしていましたので、およそのメソッドは経験済みなのですが、唯一手を出していなかったのが、セドナというやつです。確かセドナというものは不要な思考や感情を手順を踏んで(視覚化したり?)手放していくというやり方でしたよね。私の記憶が確かなら「これを手放しますか?」「はい」なんてブツブツ囁くというオ○ニーの次くらいに母ちゃんに見られたらヤバそうな行為だったかと思うのですが(声に出さなくてもいいのかな? 詳しくはわかりません)、確かに有効なやり方だとは思います。

思考というものは手放したら手放したで、新たな思考が湧いてきますが、その思考をさらに手放し続ければ果てがあるので、その果てに意識が慣れてしまえば、自分=世界は会得できます。

例えば上級国民の〇〇さんと付き合いたいと思った時に「あ、私は下級国民だから無理だわ」なんて思考が湧いてきます。もちろん下級国民なんてのはただの概念ですからセドナでも何でもいいので、ポイッとします。すると「それでも、私はブスだから無理」という思考が現れます。これもただの観念で、「美女と野獣」や「ブスとイケメン」なんていくらでもいるので(むしろ美男美女の方が稀。データはありませんが、人生の経験上)、これもポイッとします。そうすると今度は「あ、ちょっと気分が軽くなった。これで叶うかも」。はい、それもエゴの観念なので、ポイッ。「ちょっと、待ったらんかい。何のためにこんなことをしてるのよ」。それもエゴの勝手な疑問なので、ポイッ。「ちょっと待ってよ。なんで…」。ポイッ。ポイッ。ポイッ。ポイッ。

こうして行くと、徐々に自分という意識がなくなって行きます。するとなんだかこの現実だけを眺めている意識が残ります。これが自分=世界です。

自分が無くなれば、よく世界の全てが自分になるなんて言いますよね。「好きな人も嫌いな人も自分だった」なんて。皆さんもおそらくロジックでは理解できると思うんです。「主観が消滅すれば、対象を持てなくなるわけだから、そりゃそうなるだろう」と。でも体感ができない。機関車トーマスが自分自身だとはとても思えない。でも、これって私の個人的見解では、ただの慣れの問題です。

ずっと今まで一人の人間目線で生きてきましたから、世界に対して分離するようなバイアスが強くかかっているだけなんです。つまりそれを徐々に緩めていく、つまり上に書いた自分という意識を遠ざけた状態に長くいることで、あら不思議。あの人もこの人も、トーマスも自分という感覚を取り戻すことができます。というか、なんでそんなに進んで自ら分離してたんだとなります(エゴは分離してた方が快感や達成感があるので)。決してスピの才能とかじゃなく、継続、慣れなんですね。

急に認識が変わったなんて人もおそらく、この自己観察や今にあることで一日における自分を辞めている時間がある程度の水準を超えたから(割合はわかりません)、認識が転換したんじゃなかろうかというのが、私の見解です。

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 引き寄せの法則へ
精神世界

↑↑ポチして頂けると嬉しいです↑↑

-「自分=世界」, セドナ, 今今メソッド, 俗に言う「認識の変更」編

Copyright© こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ! , 2020 All Rights Reserved.