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アルファポリス

願望実現「Mr.長嶋(感覚)」編

「自己」がなければ願望は成り立たない!!

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牡丹大谷翔平きゅんが5月に入っても止まらない! 昨日(現地時間10日)の試合でも2安打1ホーマーと好調をキープし、その「二刀流」は本場メジャーリーグに新たなイノベーションをもたらしています。そんな大谷きゅんの華々しいデビューシーズンに、同じく18年前、ステロイドで薬漬けだったメジャーに「スモールベースボール」という新風を吹き込んだイチローが節目を迎えることになりました。所属するマリナーズと「スペシャルアシスタントアドバイザー(会長付特別補佐)」契約を結び、今シーズンは選手として出場しないことが決まりました。広告塔としての飼い殺しだという批判もちらほらと聞かれますが、今季の不振では解雇すらもあり得たイチローに球団側が示した最大限の敬意と捉えるのが自然でしょう。

周囲では事実上の引退と見る向きも多く、メディアも特集を組んで過去のイチローの名言などを取り上げてました。その中には第2回ワールド・ベースボール・クラシックの優勝インタビューでの「ほぼイキかけました」という際どい迷言(?)もあったのですが、やはり私個人としましては、

「古畑さん…(ギロリ」

ドラマ「古畑任三郎FINAL」での怪演で放った、その強烈な違和感を伴ったセリフの数々でしょうか。

古畑任三郎FINAL DVD-BOX

Amazonのリンクも華麗に貼ったところで、本題に入ります。

前回、「今にある」ことで脳内に流れていた音声(思考)がミュートになり、現実が音(自己)のない景色になるというお話をいたしました。ただ、その静寂な景色の中にも、人や建物、街の喧騒を認識してる意識が残っているはずです。私はこれも思考と位置づけ、過去の記事では「変質者エゴ(別の領域)と命名いたしました。この変質者エゴには「思考を観察」することでもアクセスでき、その在り方とはつまり、自己という虚構との一体化を解除した状態であります。

私も廃人時代には「無思考」メソッドなどに真面目に取り組み、実践している最中に本当に「無」かと思われる瞬間にも何度か立ち会いましたが(勘違いの可能性もあります)、結局はそこから何かを得たという記憶はございません。本当の「無」を維持できるのであれば、それは認識の放棄をも意味し、それこそまさに仙人であり、どのような境地であるか私には想像もつきません。一般的にスピで言われる「無思考(「今にある」など)」とは「自己(個人)という意識(思考)を止めて、現実を眺める」くらいの軽い意味だと捉えてください。


ですので、変質者エゴになったからといって終日「賢者タイム」に襲われ、煩悩が無になるような恐ろしい体験が起こることもなく、また以前までの自分とは人格が変わり、急に「東進ハイスクール」の講師陣のようにクセが強くなったりするわけでもありません。当然、したいことやりたいことは勝手に出てきます。ただそこに自己はなく、故に関連付けもないわけですから、

「私」という主語は付いてきません

個人という「私(自己)」が付随しなければ、それは願望足り得ないのです。願望とは、ただの意図に自己(記憶や観念)という基準を当てはめ、困難であると判定したものを指すからです。自己がなければ、意図は意図のまま通り過ぎていくのです。その意図はあたかも「よっちゃんイカ」を求めるような、

「充足」が前提の感覚なのです

よっちゃんイカを求める時にも当然そこには意図は発生していますが、意図しようと思って意図していたわけではないはずです。ただ、ある瞬間にふとよっちゃんイカが食べたいと思い、目の前によっちゃんイカがないからといって意図に振り回される(不足になる)こともなく、ただ会社帰りに別用で立ち寄ったコンビニでよっちゃんイカをたまたま見かけ、「そういやよっちゃんイカを食べたいと思っていたな」と執着も渇望もなく手に入れてしまいます。

すなわち変質者エゴの意図とは、意図するまでもなく勝手に出てきてはすぐに行方をくらまし、意図が実現した時に改めてその意図を認識するものなのです(認識すらしないこともあります)。つまり、意図すらも本来は景色の一部であり、ただ流れていってはどこかでまた現実としてひょっこり顔を出してくるだけなのです。

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