皆さま、お盆休みはいかがお過ごしだったでしょうか。私はと言いますと、8カ月に亘る長い正月休みから継ぎ目なくお盆の季節に移行したようなものなので、特別な感動はございませんでした。おそらく、このお盆休みを4カ月ほどキープしたままクリスマスを迎える予定になるかと思います。お盆なのに連休を頂けなかった社畜の方からは、「コイツ、楽してやがんな」と非難を受けそうですが、夏目漱石『吾輩は猫である』の一節に「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする」とあるように、〇職は〇職なりの悩みがあるのです。先日、その悩みの核心に触れられる出来事が発生してしまいました。
たまたまマンションのエレベーターで同じ階の奥様と居合わせたのですが、珍しく挨拶の後にも言葉を続けられまして、
奥様「お盆休みですか?」
〇職「ふぇッ、あ、はい」
奥様「お仕事は何をされてるんですか?」
〇職「……ITっス」
奥様「そんな気がしてました」
〇職「(遠い目)」
一応、ブログもITということでぎりセーフっすよね(汗)。ただ、ビジネスではないですがww しかし、肩書がないというのはこんなにも生きづらいものかと、変な汗をかいてしまいました。これから〇職になろうとお考えの方、今一度思い留まるよう進言いたします。
さて、今回は困った時の例のヤツということで、お悩み相談です。この度の相談者様は熊五郎さんです。
お盆休み中、貪るようにブログを拝見致しました。ふれきよさんのお陰で、体感は出来ていませんが、少しずつ自分=世界を理解出来てきました。
素敵なブログをありがとうございます。私にはどうしても【今の現実が変わらないと願望が叶わない】と言う条件付けが消えません。
例えばですが、【私がAさんと結ばれるなら、Aさんが今のお相手と離婚しないといけないが、その前兆は全くなく、今この間にも仲よさそうにしている、一体いつ離婚するのだろう?その日は来るのだろうか?】というものだったりします。現実が変わらないと叶わないと思ってても叶えていい!と自愛しても、心に響いてきません。
なる、をしていても上記のようなことが頭をかすめてすぐ思考に苛まれます。
どのように目線を変えれば、もっと楽に意図出来るようになるのでしょうか?
似たような質問がもしかしたらたくさんあるのかもしれませんが、ご教授頂けますと幸甚です。
「『今の現実が変わらないと願望が叶わない』と言う条件付け」は、熊五郎さんのみに限ったものではなく、スピリチュアルの才能を持った一部のパッパラパーな連中以外にはそう簡単に手放すことのできないものです(そう書くと無駄に難易度を上げてしまいそうなので、ジレンマなのですが)。このどうしても手放せない条件付けがどこから発生してくるのかと申し上げれば、内面と世界が一体ではなく、分離したものだという従来のエゴの観念からであります。つまり、「自分=世界」という真理への根強い疑念なのです。
ただ、それも仕方がありません。なんたって、生まれてこの方ずっと認識していた世界観とは180度異なる目線で世界を捉えろと言われているわけですから、「今すぐ現実を無視して叶った自分で在ればいいんですね? はい、楽勝っス♡」と抵抗なく受容できる方が人として大切なものが欠落している可能性があります。
アプローチとしましては、思考の観察(「今」にある)などをして「自分=世界」への信頼を強めていくか、体感できなくても「自分=世界」を念頭に「なる」などを貫くか、または不足にまみれた現状を許し、肯定して、全ての関連付けを解体する自愛に取り組むかであります。
後者2つは既に実践をされているということですが、自愛に関しては、心に響かなくても、それさえも許していきますので、心に響かないという理由だけで自愛を見限るのは少し自愛について誤解をされているのかも知れません。自愛は常に不足の後ろに回り込みながら徹底して許していくことなので、実践する上でのエクスキューズが成立しないメソッドなのです。
「なる」については、シンプルが故にエゴにとってはかなり筋力のいるやり方なので、湧いてくる不足の思考さえも「なった」からこそ出てきたものだと割り切ったり、また、「既に理想の自分だったんだ」と思い出してその思考を却下できなければ、「なる」で叶えるのは難しいかも知れません。
ですので、「もっと楽に意図出来るようになる」ためには、思考の観察や「今にある」ことでニュートラルに意識を置き、何やら内面が世界と繋がっていそうだと浅くでも体感していく方がベターかと思われます。本来は無色透明なニュートラルな水(意識=世界)に、エゴが過去の観念や記憶という着色料を垂らして、色のある世界を創り出しています。ニュートラルに戻ることで、そのエゴの着色作業を明確に視認することができるのです。つまり、エゴが垂れ流す不足を無意識に採用し、その不足で世界を色付けしていたことに気付けるわけです。
その気付きとは言ってみれば、内面を起点として世界が形成されていたという気付きです。エゴの不足の意図が反映されていたんだと気付ければ、その後は現実に左右されることなく楽に充足の意図を世界に投げかけることができるのではないかと思います。
まあ「自分=世界」を信じられるか否かを問わず、ガリレオの「それでも地球は回っている」が如くその法則は等しく万人に作用していますので、ややこしいことは省いて単純に意図するのであれば、エゴの観念にも受容しやすいように「次第に現実が変わって、自分とAさんが結ばれると」と柔軟に時間軸を採用して「自分=世界」を解釈すればいいかと思います。
また、色々と考えてしまう方には問答無用の「アファメーション」が得策な気もします。これは言葉の物量作戦でもって思考を塗り潰し充足に転換するメソッドですの、現状の立ち位置が不足であっても何ら問題はありません。これも人によって合う合わないがありますので、私も他人の内面は覗けない以上、毎度のように一般論的な回答をせざるを得ないのが実情です。ですので結論としましては、試行錯誤を繰り返して自分なりにコツを掴んでいくしかないかと思います。