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別の領域 「自分=世界」

エゴ(個人)からでは叶わないというフェイクニュース!!

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フェイクニュース当サイトも最近では検索やお気に入りからのアクセスが8割以上を占め、開設当初には主要なアクセス元だったブログランキングの存在感が私の中で希薄となってきました。ですので、順位がどうなろうが今では知ったこっちゃないのですが、たまにふらりとランキングを覗いてみますと、相変わらず例のサイトがぶっちぎりで王座に君臨しているではありませんか。そうです、『伊勢ー白山道』であります。スピリチュアル系ランキングサイトをご覧になった方には馴染みがないかも知れませんが、『伊勢ー白山 道』はスピブログ界の「大阪桐蔭」とも言うべきモンスターサイトであり、参加している全てのランキングで首位を独占しています。運営主体が個人か主教団体か宇宙人かはわかりかねますが、とにかくその怪しさはスピブログ界の「金足農業」との異名を取る当サイトと双璧と言えるでしょう。ということで今年の夏の甲子園も熱かったですね。

さて、今回はエゴについて少し読者の方に誤解を与えているのではないかと思い、表記等の問題を含め改めて私なりの考えを述べたいと思います。

かなり以前の記事で、「別の認識(「自分=世界」)もエゴだ!」なんてことを発信しましたが、このエゴは「個人意識」ではなく、「自分という意識」という意味で申し上げました。ブログの開設当初はあまり言葉の定義に気を払わずにいたため、記事を重ねていくにつれやや混乱を招く結果になってしまいました。ちなみに最近では主に「エゴ=個人意識」ということで表記しています。

「個人(エゴ)」という在り方でも、「自分=世界」という在り方でも、それは結局「自分という意識」がそう認識しているだけということです。普段の我々は「自分という意識」を潜在スピ子という「個人」の器に嵌め込んで生活をしていますが、その構造は「自分=世界」の在り方と何ら変わるものではありません。ただ、「自分という意識」の受け皿が違うだけです(厳密には「自分=世界」=「自分という意識」なので、「自分=世界」の受け皿はありませんが、理解の促進のためにあえて「自分=世界」も器と表現しています)


よく巷の達人たちが別の領域(「自分=世界」)では「自分」がいなくなると口にしていますが、私の体感上の解釈ではその「自分」は潜在スピ子という「個人意識」のことであります。

「自分(=個人意識)」でも何でもそこに何かが消滅したと認識できるのであれば、それを認識する主体があるということです。この主体から見る認識はもちろん主観となりますから、それはやはり「自分という意識」となります。「自分という意識」さえもなくなれば、何かが「ある」とか「ない」とかの認識すら持てないはずです。

つまり、この「自分という意識」が「本来の自分」と言われるもので、この意識が「ある」や「ない」などを認識し、世界に投影しているわけなのです。ですから、この「自分という意識」が潜在スピ子という個人の器の中にあったとしても、その器の中で願望は叶う(叶っている)ものという認識を持つことができれば世界はそうなっていくのです。

ただ、我々は一人の人間という個人意識を持ちながらでは、世界との分離感から自分は無力であると錯覚をし、創造にブレーキをかけてしまいがちです。故にエゴ(個人)からの脱却が推奨されているのですが、そのエゴからでも認識さえ変えてしまえば願望は叶うのです。エゴという器の中にあっても、それは紛れもなく「自分という意識」だからです。

故に願望を叶えるためには「自分=世界」の体感は必須ではなく、どんな在り方であろうが、ただ叶う(叶っている)と認識すればいいだけなのです。ですから、潜在スピ子であることを極度に恐れなくてもいいわけです。

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