メリークリスマス、よいお年を、明けましておめでとうございます。これでとりあえず、怠けていた分の挨拶は一通り取り戻せたかと思います。
ご無沙汰しております。調べてみると最後に更新したのが、去年の11月15日なんですね。このサイト史上圧倒的なスパンでの無更新だったわけで、やる気がなかったかと言われればそれまでなんですか、プライベートがバタバタしていたというのもあります。これも〇職だった頃に「暇だなぁ、何かないかなぁ」と意図した祟りでしょう。
この意図するって行為を少し考えてみてほしいんですけど、例えば水を飲もうという意図が起こると、その原因自体は肉体の渇きなんですけど、その意図そのものに「あれ、Fラン大学出身のブサ面のオレに果たして水を飲む作業ができるのか?」なんて、私(エゴ)は絡んで来ないですよね。
つまりその「意図」は「自分という存在がない意図」なんです。「私の意図」じゃないんです。これが潜在意識的な意図なんですね。で、何か大きなものを願う場合は途端に私というエゴが紐づられて、意図が願望になってしまう。
だからまずは今(別の領域)にあったりして、自分がいないということを先に看破する方法があったりするのです。というか、そもそも始めから私になんていないんで、それに気付けばどんなことにも意図を適用できるようになります。
言ってみれば神様だったことに気付こうぜって感じで、神様が地上を覗いて、「あの可愛い人間の女と付き合いたいなぁ、ヤキモキ」とか思わないですよね。自分が作ったんだから、小説を書くようにそう書き換えるだけなんです。
今、書いていてふと思ったんですが、「今にある」ってやっぱり言葉のニュアンスからして難しく感じますね。そんな練習が必要なものではなく、端的に言えば、この瞬間に自分という人間がこの地球上から消えたと思って、世界なり景色なりを眺めればいいんです。それが今にあるですね。
正直、これを一日5分からでもしっかりと継続していけば自分がいないことを徐々に掴めるかと思うんですが、これも人それぞれなんで、何とも言えませんが。
いや違うか、誰でもある程度感覚的に自分がいないことはすぐに理解できると思うんで、それが継続していかないことが問題なんですかね。ならば話は早くて、とにかく今にある時間を長くすればいいってことになります。
色々と面倒くさい方は、自愛を推奨です。とにかく足場を充足にしていれば、何を考えてもOKなんで。自愛のコツはとにかく徹底的に馬鹿になるくらいに自愛をするだけです。本当に馬鹿になってください。馬鹿でちょうどいいんです。
で、話は変わって、しばらくサイトから離れてしまった反省から、更新のやり方を変えようかなんて思ってます。あんまり気を入れて書こうと考えずに、ふと思いついたことを短くてもスラスラ書く方向にしようかと。これだとまだ頻繁に更新できるかもなんて甘く考えてますが、検討中であります。