別の領域 「自分=世界」

心をエゴの枠内に閉じ込めるべからず

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しかし心って不思議ですよね。自分に降りかかった過去の恥ずかしい話を思い出すと、もうそのような状況は実態としてはないにも拘らず、リアルにその時の状況が蘇り、体中から汗が吹き出します。一体、何の恨みがあるんでしょうか、この心象風景ってヤツは。

この私の恥ずかしい心象風景がなぜ恥ずかしいかと言えば、私というエゴが体験したと認識しているからで、これを他人の体験だと思えば、第三者の笑い話に転化します。つまり私はその心象風景を私という人間(エゴ)の枠内で捉えていたわけです。

しかし何も心象風景自体は個人の枠に留まるものではありません。サバンナでライオンがシマウマを食している風景も想像できますが、そのライオンやシマウマを自分だとは思うはずもありません。つまり、心に描いた風景とは必ずしも自分(エゴ)という枠だけに収まるものではないのです。自分という個人の中に心があるのではなく、自分の心と思っている何か(心象風景、想像)が世界にただ在るんです。それは個人(エゴ)を超えたものなんです。

心を自分の内面の想像と捉えるから、それを妄想と過小評価してしまうのです。そうではなく、その心象風景は世界に漂っているんです。在るんです。れっきとして。

と、感覚に従い走り書きをしたので、少し言葉足らずで強引なところもなきにしもあらずなので、次回に清書するかもです。

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