自愛 「自分=世界」 意図

成り行きで○職脱出

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これはかなり前に(すみません)ぴょん吉さんから頂いた質問なのですが、

余談ですがサラリーマンを辞めたこまけーさんが、どんな生活をされているのか気になります。

過去に他の何人かの方からも同様な質問があったので軽くお答えしますと、基本的には退社後しばらくはニート兼ブログニストとして活躍していたのですが、知人の紹介で仕事らしきものをするようになり、決まった時間に出社するとかではなくかなりフリーな勤務態様で、現在の私は一応、脱ニート状態ではございます。

特に金があるからと豪奢な暮らしをしているわけではなく、相手がいる場合は別ですが、外で一人飯をする時には相も変わらずケチ腐ってファーストフード店(牛丼屋やバーガーショップ、チェーンの定食屋など)に入り浸り、セレブとか何とか言いながら、生活自体はごく質素なものとなっています。

まあ、そんな怠けた○職生活に元々は憧れてはいたのですが、やはり人間というものは同じ場所に留まるのが苦手な生き物らしく、もう一度何か生活サイクルが変わるような刺激が欲しいなと思っていた矢先にちょうど知人から誘われ、特に行動もせずに新しい生活にありつけた次第でございます。まさに成り行きに任せていただけです。

基本的に成り行きに任せるというのは、恐れがないことなんですね。ただ、身を任せるというか、全てを受け入れる感じです。たんたんと現実を消化していく感じでしょうか。もちろんその間にはエゴも色々と騒いだり、泣いたり、喜んだりするでしょうが、その感情自体に良いも悪いも判断せず、ただその場だけで受け止めているだけで、だからこそ湧いてきた意図(願望)に対しても抵抗なく受容できるんです。

不思議とエゴちゃんは嫌なことや不足を恐れながらもそれを受け入れ、願望や充足に対してはそれを望みながらも、無意識に現状の自分には相応しくないからと恐れて弾いてしまいます。しかし何か価値判断をして取捨選択するということはエゴの習性そのもので、逆に全てを受け入れるということは価値判断の放棄であり、エゴの滅却となるわけなんです。そこで願望に対しても自分(エゴ)というの所有格(個人の自分が叶えるというハードル)がなくなり、自然と世界と溶け合って行き、それが勝手に現れるという感じになるんですね。

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