自愛 「自分=世界」 意図

意図が願望になっちゃうわけ

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なんだか、リーマン時代以上に色々と忙しくなってる今日この頃ですが、あまり更新出来なくてすみません。やる気は…ないこともないんですが、家庭の事情もありまして、なかなかパソコンに向き合えないというのもあったりと。と言うのも、実は奥さんにも未だに私がブログニストであることを黙っているんで、奥さんが家にいると悠長にパソコンを前にしてブログの管理画面も開けないのです。もしかしたら、掲示板にコメントされている読者の方に奥さんがいて「夫がろくに働かないんです」と相談していたら笑えるのですが、まあ業界人ではなさそうな感じなので、その可能性はかなり低そうです(そんな悩みの方はいませんでしたよね?)。

そもそも願望というものは元々ただの選択(意図)に過ぎず、その意図がなぜ願望に変わるのかと言えば、意図を持った直後に自分に対する評価を格下げしちゃうからなんです。それを手にしていない自分は不完全な存在だと、今の位置から一歩階段を下りちゃうわけなんです。すなわち逆から眺めれば、階段を下りない願望は意図のままということで、コンビニでお菓子を買いに行く程度なら「お菓子が手許にない自分はろくでもない」と卑下することはないですし、また向かったコンビニに目当てのお菓子が見当たらなくても、「俺はやっぱりダメ人間だー」なんて思うこともないはずです。そんな時は別の店に行くか、その日はすぐに忘れるかです。つまり意図というものは自己評価が毀損されないもの、もっと言えば自分の価値と連関させないものとも言えます。

「いや、コンビニでお菓子を買えるぐらいの小銭はあるし、それがGETできる確約があるからこそ、自己を格下げしないんだよ。確信も根拠もない大金を得るのとはわけが違うだろ」とエゴが騒ぎがちですが、その現実の風景からエゴが想像する難易度の差は本来存在しないというのがスピの本義であります。

と言うことで難易度がないわけですから、ただ単に現実の風景は無視して意図すりゃいいんですが、在り方を変えないままだとまた意図が無意識に願望へと変わってしまいます。ではどうすれば良いのかと言えば、アプローチを逆に取ればいいんです。つまり意図と自分(エゴ)の現状を連関させないか、または今のままの自分で完璧であることを認めてあげるかです(自愛であったり、完璧認定であったり)。より厳密に言えば、もともと完璧な存在なので、それを思い出す作業だとも言えます。意図は本来、完璧な自分をより豊かにしてくれるアイテムのようなもので、決して不完全な自分を慰めたり補ったりするアイテムじゃないんですね。

その裏側をよりスピ的に説明すれば、意図した瞬間に叶っているのに、直後にそれを願望に転換して叶った世界を解除してしまっているんです。意図とは心的な映像みたいなもので、それが浮かぶということは既に実現した時の充足を経験しているということなんです(具体的には、好きな人と付き合いたいと思うのは、既にその充足、喜びを知っているからこそ求めるわけで、なぜ知っているのかと言えば、既に内面で経験{想像=創造}しているからなんです)。そして「自分=世界」で内面世界こそが真実ですから、内面で充足を経験した(意図)ということは、もう既にその世界にいるんです。それをわざわざエゴの現状を以て否定するから、意図(叶った世界)が願望(叶っていない世界)になるというだけなんです。

今日はエイプリルフールということで、信じるか信じないかは、あなた次第です!

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