昨年まではあんなにワクテカだったゴールデンウィーク(GW)が、今年はその訪れにも気付かないくらい毎日がGWになってしまった、どうもM職です。歳のせいかニートのせいかわかりかねますが、『スーパーマリオ』の制限タイムくらいの速さで体内時計が進んでいるような気がします。気付けば5月、すっかり朝晩の冷え込みも和らぎ、後期高齢者の方にも過ごしやすい気候になってきましたが、何もいいことばかりではありません。気温の上昇とともに、ヤツらの活動が活発化してくるのです。何も『TUBE』のことを揶揄しているわけではありません。そうです。まっくろくろすけ、ゴキちゃんです。
現在の私の住まいでは夏場でもゴキちゃんの姿を見かけることは少なくなったのですが、実家のボロ家ではよくお目にかかりました。
あれは高校生の頃だったでしょうか。私が学校帰りに買った『週刊少年マガジン』を手に自室のドアを開けますと、部屋の中央に1匹のゴキちゃんがいました。不倫現場に遭遇したかのような衝撃が両者にほとばしり、ゴキちゃんは私の体内時計のようなスピードで部屋の奥へと駆けていきました。私は「ここで逃してしまうと、この後の出没の恐怖に神経がすり減らされる」と思い焦り、咄嗟に持っていたマガジンをゴキちゃんの頭上へ落下させました。ひとまずはマガジンを漬物石に代えてゴキちゃんの自由を奪った私ですが、その後の処理には頭を悩まし、また後で考えようと未来の自分へ先送りした結果、気付けば5日ほどが経過していました……。
このまま続けますと昆虫ブログになってしまいますので、戦慄の結末は次回に回すとしまして、ここらでスピチャンネルに切り替えたいと思います。
読者のkuroさんから、「自愛(完璧認定)」について今ひとつやり方が掴み切れないというコメントを頂き、kuroさんご本人には直接返答を差し上げたのですが、他にも同様な思いを持たれている方がいらっしゃるかも知れませんので、改めて自愛というメソッドについて書いてみたいと思います。
世に語られています一般的なメソッドとは謂わばルートであり、その様々なルート(メソッド)に共通する目的地が、内面の変化であります。行き着くところは現象ではなく、あくまでも内面であり、メソッドそれ自体では願望実現には直結せず、願望実現を許可できる内面の在り方を形成していくものです。
ただ、このメソッド論も「願望実現を許可できる内面の在り方」という一つの制限であると言えます。つまり、「願望を許可できなければ実現しない」という条件にもなっているのです。そして、自愛(完璧認定)とは、この条件さえも溶解し、現在のありのままの自分を無条件で自分(=世界)に認めさせることなのです。
ある意味、発想そのものは屁理屈に近い開き直りなのであります。「宇宙の根底に流れる真理が『自分=世界』やったら、願望を許可できようができまいが、叶えたってもええやん」というコロンブスもびっくりな逆転の発想なのです。
しかし、これも突き詰めれば、
内面を変える必要はないという内面の変化
が起きているわけで、やはり内面の変化は必要だと言えるわけです。ただ、自愛(完璧認定)はそれを実践している時点で完結と言いますか、その時点で既に内面に変化(認識の変更後の在り方に近い)が起きていますので、どこかで書いたかも知れませんが、私がアンジェラ・アキばりに過去の自分に『手紙~拝啓 廃人の君へ~』を送るのなら、「自愛をしてろ」と一言だけ書くかと思います。