アファメーション なる 「自分=世界」 根性論

日向ぼっことはなんぞや?

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日向ぼっこという言葉があるらしく、どうやら脳内だけでホクホクしていて、現実には何の変化も現れないことを指すそうなのですが、ただ現実は変わっていないと自覚した上でそこに不安があるとすれば、それはおそらく俗に言う認識の変更ではなくまだ途上にある段階で、仮にもう現実がどうであろうと気にならないとの心境にあるならば、ある程度認識の変更も進んでいる証左なので、自ずと現実も変わっていくであろうかと思います。

当然、皆さんが望む願望実現とはエゴから見た願望実現(現実化)のことですが、シンプルな在り方だけで極論するなら、現実化されなくてもいいと思うところまで内面を満たせれば、皮肉にもそれが現実化すると言う背反性があるわけです。つまり「現実が動かなくてもいい=動く必要のない(充足な)現実が展開されている」ということなんで、スピちゃんは意地悪もいいところなんですね。

ただ、目の前の現実が苦しい中で「なる」的なアプローチでその境地に達するには、よっぽどパッパラーなスピリチュアルの申し子クラスの人しか難しいかと思います。現実が苦しいのに、それを見ないふりして内面を変えようと思っても、メソッドの先にある内面変化よりも、メソッドがうまくできているかに囚われて、もはやその効果は期待できません。

ですから、当面は現実的に楽になるよう行動を取りながら、内面に向き合える環境を作るのが得策です。ただ、この現実的な行動すらも本当はスピリチュアルの範疇で、スピ脳になって「現実に囚われて行動しちゃいけないんだ」と思うのは、楽になろうとする自然な意識の流れに抵抗することになって、それこそスピ的には毒です。道を歩いていて前方に電柱があるのに、危ないと思いながらも「囚われちゃいけない」と直進して頭を打つようなものです。そうじゃなく「危ない」と思えば避けりゃいいんです。気分が楽になるような方向に舵を取っていけばいいんです。

そもそも論として何度も言うようですが、現実を一切無視して内面を整えなきゃいけないわけじゃないですからね。それは一つのアプローチであって、現実に反応してしまうのは止められないことです。冬になれば寒いと感じるのと一緒で、全自動です。全自動で勝手に起きてくるものだと認識して、それに一体化しなければカラスの鳴き声と同様で、音声にしか過ぎません。そうして思考を観察することで世界の仕組みを体感するか、または自愛でダメな自分も認めてあげるかです。内面の調整が必要だと条件付けするのは本末転倒ですから。もしくは現実からの干渉が激しい場合はアファメーションが王道かもしれません。

私の場合は目先の現実生活が苦しかったわけでもなく、スピに没頭できる環境にありましたので、会社であろうがどこであろうが、内面が自由な場面はセレブを気取っていました。トイレに行く際の休憩とかランチの時とかにですね。今はどこどこにいるから内面の切り替えができないだとかそんな次元を飛び超えて、とにかく根性でやっていました。私にはどうやらそれが合っていたようです。

ということで個人の性格や環境によって適切なアプローチはそれぞれですので、あるアプローチが続かなければ、別のアプローチを試してみたりと、とにかく現状の自分に馴染むものを採用してください。

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