別の領域 「自分=世界」 俗に言う「認識の変更」編

前回の補足とコメントへの返答

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言わずもがなですが、前回に私は街(現実)を雲の上から俯瞰しているような感覚と表現しましたが、もちろん本当に人の頭や建物が小さく見えているわけではなく、現実というものに対する認識の距離感のことを言っていますので、人がゴミクズのように見えなきゃいけないとか思わないでくださいね。

ただ、現実を見下ろす視点というのは気づきにはもってこいで、どこかの著名な達人か掲示板の名もなき達人かは忘れましたが、部屋にいる自分の後方から自分を見下ろすような視点で眺めることを勧めていたように、それはある意味自分(思考)の観察であり、世界と一体となる行為なので、かなり有効かとは思います。

それに絡んで、コメントに返信を。

「いつもそのような雲の上の心持ちでいながら生活するのはおそらく不可能だと思うし
「煩悩まみれ」とありますよね。
気づいた後は煩悩と気づきを行ったり来たりになるのかなあ?」(なほさん)

・あくまでも私個人の話ですが、行ったり来たりもしませんね。煩悩だらけです。スピリチュアルのこともあまり意識しませんし、スピを知る前のようにもう普通に暮らしています。ただ昔と違うのは、何を思おうとブロックがないことですかね。思考に対しては自由と言いますか。「あ、自分には無理だ」とかは思わなくなりました。そう考えると、無意識に思考とは距離が取れているのかも知れませんが、逆に言えば垂れ流しです。心の鎖が取れた感じです。

「単純な興味ですが、どの辺からそういうように理解と認識が進んだのでしょうか。
セレブなリーマン時代ぐらいでしょうか…」(qpさん)

・どこかで書いた気もしますが、私の場合は涙を流すような大きな気づきはなく、徐々にですかね(つまり泣かなくとも認識は進行して行きます)。小から中くらいの気づきの連続です。少し記憶が曖昧になってきましたが、たぶんセレブになった段階ではまだ認識は浅かったはずです。認識の変更があったから、願望が叶ったわけではなく、私の場合はとにかく先に内面を変えて願望を叶えたタチなんで。で、それからもやっぱり宇宙の仕組みとかには興味があったんで、色々とまとめサイトを見たりしながら、今にあったりしていくうちですかね。でも願望を叶えてからは怪しい世界への信頼感が増したこともあって、速かった気もします。ただ言えることは、結局は廃人時代に感じていた感覚の延長だったということです。廃人時代にも自己観察などをして何だか少し心が軽くなったりした時がちょくちょくあったんですが、その感覚は間違ってなかったですね。問題はそれを信頼できるかどうかで、どうしても認識が浅い段階では感覚的な確信が無いんで、「これで合ってるかな」なんて達人の言葉と答え合わせをして、その感覚に重きをおかないんですね。他力本願というやつです。まあ他力本願という言葉はある意味正しくて、他人でなく、神様である自分に対して他力本願(任せちゃえば)であればいいんですが。とにかく、もっと皆さんは自分の感覚に自信を持っていいかと思います。

※コメントに返答するのは気まぐれですので、ご留意ください。

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