アルファポリス

「今」にある 「自分=世界」 意図

肉体を通すのではなく、景色と一体化する!!

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これはスピリチュアルあるあるなのですが、何か気付きがあった後に、あの体感は何だったんだろうとまた日常のエゴに引き戻されることがあります。皆が皆そうなるかはわかりませんが、私もコンビニで大きな気付きがあった時に、翌日は何だか日常の感覚に戻っていました。

だからといって、「やっぱり私はダメだぁ」なんて思う必要はなくて、その一瞬の気付きがあった時点で認識はかなり変わってきているという証左なので、適当に日常を過ごしていけばまた勝手に認識は深まっていきます。

私もブログを始めた頃とは少し認識が変わってきているのですが、それも気付きがあってまた戻って、また気付きがあってという3歩進んで2歩下がって、5歩進むといった感じです。

よく気付きは螺旋階段に例えられますが、本当にそう感じます。奥に進んだと思ったら手前に戻ってきて、振り返れば足元が高くなっているんですね。

一度の大きな気付きで全てが変わる人もいるでしょうが、大体の人は小さな気付きの積み重ねで徐々に変わっていくような気がします。ですから、小さな気付きを過小評価しないことです。それは認識が変更している確固たる証拠なので自信をもってください。

何十年間エゴ(個人)を通した認識で生きてきたわけですから、なかなか「はい、さよなら」とエゴちゃんとお別れはできないものです(当然、できる人は制限せずにしちゃえばいいです)。ただ、逆から言えば、この個人という意識の幻想に気付けば全てが終わるといってもいいくらいです。

「今にある」などを実践して、個人という自分はいないということをベースにできれば、見たいものを採用することができます。採用と言うか、それを思い浮かんだ時点でそれと一体であることに気付けます。


今にある時の感覚としては達人の桑田さんが言っていたように、景色と一体化するという表現が端的でわかりやすいと思います。日常から思考との一体化をやめれば、思考もただの雑音になり、景色の一部となります。

思考も当然、「自分=世界」の一部なのですが、それに強く焦点を当てることはなくなります。汗が出てきても、それを拭うことはしますが、それに囚われることはしないですよね。それと同じ感覚です。焦点を当ててもいいし、当てなくてもいい。だったら好きなものに当てた方が有意義ですよね。

極端な話、自分という肉体を通して何かやろうとするのがエゴです。そうじゃなくて、肉体を飛び越えた景色(世界)全体に自分があると、こうしようと思った時に世界全体がグニャンと、もうそうなっているのです。エゴ目線で言えば、「なった」時点でほにゃららというヤツです。これを体感できるのが認識の変更なのかもしれません。

ただ願望を叶えるのに認識の変更は必須ではないです。エゴからでもガンガン内面を変えりゃ済む話ですので。

 

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