アルファポリス

「自分=世界」 別の領域

全部、思考で突っ切った方がわかりやすい!?

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思考お問い合わせから気づきなどのご報告を頂いたポンポコさん、pafupafuさん、マンジュウガニさん、お返事を差し上げようと思っていたのをすっかりと失念しておりました。自分のバカバカ!  ご報告の方は嬉しく拝読させて頂いております。遅くなりましたが、この場を借りてご報告の御礼を申し上げます。ありがとうございました。また、記事にて借用させて頂くことがあるかもしれないので、NGな方はご連絡ください。

さて、私はコメント欄でのえるさんが仰るように、別の領域やら何やらほざいてきましたが、どこまでいっても結局はエゴ派の立場であります。ですので、今回はあえて、このエゴだけで突っ切りたいと思います。

ただ、このエゴという言葉は誤解を生みそうなので、「思考」と置き換えます。そしてその「エゴ」は、私は僕などの個人意識と定義します。

で、本来は私や僕と言った「エゴ(個人)」は存在しないのです。あるのは思考(=認識)だけです。その思考が肉体やら感覚の影響を受けてエゴに変質し、そのエゴを通して世界を創っているわけです。

そこで、このエゴを観察することで何がわかるかと言うと、「あー、恋人が欲しい」「金がない」というエゴは結局、エゴという思考から出てきた思考であって、その元であるエゴも思考である故、そのエゴ生成のシステムそのものが実体のないものだと気付けるのです。だって、思考なんてどこにも見えませんよね?

では、それを観察し、気付いた主体は何かといえば、これまた思考なんですね。で、その思考って何かと突き詰めていけば、この世界を認識しているもの、認識(=世界)そのものなのです。これを便宜上「自分=世界」「認識」「別の領域」「今」と表現するか否かの違いです。


私はいつからか「主体的な意識」と表現して来ましたが、やはりそういった意識の場所があるということを認識しているのであれば、それは思考だというのが私のスタンスです。間違ったスタンスであるかも知れないので、軽く流してください。

そして、「エゴ」であろうが「自分=世界」であろうが、また「理想の自分」であろうが、何かを発生源とした思考がそのまま世界に適用されるのです。この思考がエゴという器に収まっていますと、一人の人間という物理的な限界が適用されますので、なかなか世界がダイナミックに動いてくれません。

逆にこれがエゴの束縛から離れますと、それは自分が世界という位置から思考は発せられるわけですから、世界がその思考とダイナミックに連動していきます。「理想の自分」であれば、それに沿った理想の世界が展開されます。

思考の発せられるその立ち位置、在り方が重要なのです。その在り方に気付くのも、形成しているのも、やはり思考なのです。よく達人らが「どんな思考であっても、願望は叶う」「放っておけばいい」と言っているのは、少しリスクのある表現とも感じますが、これも実は「エゴ」を客観視できる「自分=世界」の立ち位置が揺るぎないからこそ、初めて出てくる言葉なのです。

ただ、無理やり思考の上に思考を被せるのではなく、思考をエゴに閉じ込めてしまう無意識の思考のシステムに能動的な思考で気付いていくことです。被せるのではその思考をキャッチできず、無効化されない危険性があります。

ですから、まずはエゴの思考に気付き、認めることです。認めることで在り方を明瞭にし、明瞭にすることで「なんだ、ただの思考じゃん」と虚構と見抜け易くなります。見抜けると肩の荷が下りたようにフッと心が軽くなり、これを心地いいとか、安心の場所だとかいう人もいます。

自分の思考がどんな在り方を前提にしているか、思考で気付いていく。思考は止められませんが、その在り方を思考で気付き、在り方を思考で修正していけば、思考の質は変わっていきます。思考の質が変われば、自ずと世界も変わります。まあ、結局は思考というファンタジーが世界を創っているわけです。

思考のオンパレードでした。

 

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