自由意志

自由意志のないエゴで世界を選択する!!

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トイレ当ブログ始まって以来の一大クライシス、カテゴリー大手術が明日(厳密には27日未明)に迫ってまいりましたが、ここで皆さまに一つお断りをしておきたいと思います。手術が無事成功裏に終わり、ブログが爆死せずに無事だったとしても、すぐにカテゴリーが再編成されるわけではありません。手術はあくまでもカテゴリー解体にあたり技術的な弊害を取り除くために行うもので、その後のカテゴリーの再編成には私が頭からもう一度記事に目を通してから作業に取り掛かるため、もうしばらく時間を要しそうです。グータラせずにできるだけ迅速に作業をし、リニューアルした姿を皆様の前に早くお披露目できるよう努力いたしますので、気長にお待ち頂ければと思います。

さて、前回の記事では私なりにいろいろと反省点がございまして、まずはご承知の通り時間がなくやっつけ仕事だったということ。それともう一つは私の「色気」であります。何も自分のフェロモンで頭がクラクラしたということではなく、自由意志がないことに絡めて、今まで誰もが調理してこなかった切り口で願望は叶うものだということを説明してやろうと色気を出したあまり、傍から見れば禅問答のような言葉になってしまったことです。ですので、前回の記事は華麗にスルーして、練りに練った(?)今回の記事でお口直しをして頂ければと思います。

人間には自由意志はないと申し上げました。例えば、尿意を催した時に男子トイレに駆け込むのは、そこに自分が男性であるという世界の誘導を受けているからです。つまりこれは世界にとっては完璧な行動となっているわけです。「〇職の野郎が男性という誘導を受けるからなんてほざいていやがったから、俺は女子トイレに入ってやるぜ、グヘヘ」と女子トイレに侵入して警察から署への誘導を受けたとしても、やはりそこには〇職のブログを呼んだという世界のトリガーがあったわけで、変質者としての完璧な世界が展開されているのです。


ただ、世界から見れば全ての行動が思惑通りであったにせよ、エゴにとっては世界の指針を事前に知ることはできないので、エゴの立場では自由意志はあるとも言えるのです。そして、その意志によって下された決断は結果的には世界の意思とピタリと重なるので、逆説的にエゴの決定で世界が動いているように見えるのです。

ですから、自由意志うんぬんを気にせず好きなように世界を選択していけば、結果的にそれが世界の流れになります(気にしている人はほぼいないでしょうが)。では、世界とは何なのかと申し上げれば、おわかりかと思いますが、これも「自分(=世界)」であり、認識(在り方)です(ほとんどの方が「自分=エゴ」ですが)

つまり、外形的に見ればエゴの内面が変われば世界も変わるという風に映りますが、それすらも実は世界の掌の上の出来事であり、そこに自由意志はありません。しかし、エゴにとってはそれでも自由を実感し、その自由がそのまま世界の意志と符合するわけですから、あまりこの問題には深入りしなくても、「世界を変えたければ内面を変える」このシンプルさで事が収まるのです。

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