俗に言う「認識の変更」編

「完璧認定」少し私も愛用していました♡

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レッテル「高いエリート意識を備えると同時に善悪や感情を超越した精神と完璧なる強さと思想を身に付けた、超人の中で最も神に近い存在である」(Wikipedia)

これは漫画『キン肉マン』に登場する「完璧超人」を説明した一文です。キン肉マンをご存じない方はヤフって頂ければわかると思うのですが、完璧超人たちは「ビッグ・ザ・武道」「スクリュー・キッド」「ケンダマン」といった、およそ完璧とはかけ離れたネーミングと容貌を備えており、その選民思想に溢れる言動は、読者に「自分は完璧という言葉の意味を取り違えていたのか」と当惑させるほどのヘイトスピーチでした。そもそも善悪を超越しているのなら、エリート意識云々は湧かないのではと疑問に感じたりもしたのですが、きっと私のような下等超人には理解不能な完璧な思想を根拠としていたのでしょう。

 

ということで今回は、そんな完璧超人を目指す「完璧認定」のお話しです。

完璧認定はそのエッセンスにおいて、ほぼ「自愛」と変わるところがありません。ただ、自愛は主に内面に働きかけるものであるのに対し、完璧認定は内面と現実、両方をその対象としていることです。

私が貧乏リーマン時代に実践していた現実ガン無視生活も、今思えばそれも一つの完璧認定であったと言えるかも知れません。常に今の自分が理想(〇職のセレブ)だと言い聞かせていましたので、言ってみればそれは、「現状で完璧である」という認定でもありました。

しかし、上記の私の例は狭義の意味での完璧認定であろうかと思います。認定の対象が内面のみですし、思考を切り捨て、理想の自分を採用できているという前提に立っているからです。

完璧認定とは、思考に埋没して今の自分が理想と思えなかろうが、突然の夕立で全身がびしょ濡れになってしまおうが、内面、現実分け隔てなく完璧というレッテルを貼り(認定)まくっていくのです。基本、内面で認定するだけなのですが、初めは癖づける意味でもアファメーション的に声に出してみるのもいいかと思います。そうしていくと(実践すればすぐにでも)、自分の見ているこの世界を包括的に許容することができるようになります。

どんな現実でも、どんな自分でもいい。それでも世界は完璧に展開している。

許容とはつまり、肯定なのです。世界と自分へのありのままの肯定。この境地が前々回から申し上げています、認識の変更後の世界の見え方(感覚)なのです。

「自愛」という言葉は一般にはあまり馴染みが薄い上、自分に「それでもいいんだよ」と少女漫画チックな言葉をかけることに躊躇される方も多いかと思われます。そんな方には実にパワフルかつポジティブな「完璧」という言葉を冠したこの完璧認定をお勧めしたいと思います。

ただ、前回もお話ししたように上述の完璧認定がそのまま認識の変更を意味するわけではありません。ただ、感覚としては重なるものなので、自愛や完璧認定を継続し常態化していくことで、自ずと見えてくるものがあるのではと思います。

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