「自分=世界」

根拠に創造を委ねるな!!

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ボクシング国内のアマチュアボクシングを統括する日本ボクシング連盟が「不当な判定操作」「関係者らへの度重なるパワハラ」「様々な不正経理」などを理由に、有志団体「日本のボクシングを再興する会」から告発されたことに端を発する問題で、またしてもアクの強い人物が登場してきました。その名も山根明、日本ボクシング連盟会長。会長というよりはどこかの組長とおぼしきオーラを放ち、歩くパワハラのような容貌をしております。ヤフーニュースによりますと、この山根会長が連盟を私物化し、公正が強く求められるスポーツ団体において不正が日常のように行われていたそうです。

その不正の中でも一際私の目を引きましたのは、山根氏が現職に就いた2011年の会長選で、人望が厚いと言われていた対立候補者が選挙の直前に突如、立候補を取り止めたという話です。何とこの方の顔にはアザが作られていたという一部報道がありまして、通常、権力争いとは笑顔でお互いの脛を机の下で蹴り合う冷戦のような性質のはずですが、

シンプルにボコったわけ?www

そんな原始的な行為が21世紀の今日に行われていたとは、もはや非難を通り越してあっぱれであります。

さて、当サイトのタイトルはご存知「こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!」でありますが、どうしてもブログという媒体で言葉というツールを使用するため、感覚を正確に伝達しようとすれば自然その言葉の消費が多くなり、意図せず「こまけぇ」論調に陥りがちです。

言葉を尽くすほどにそれが逆に読者の方の認識を縛ってしまう恐れもあり、私としてもいささかジレンマでありますが、スピリチュアルの実態は本来「自分の在り方がそのまま世界」であるという山根会長の生き様のようなとてもシンプルなものです。そして、そこに理屈を求めるということはスピ的にはナンセンスなのであります。


エゴは叶うことを認識(創造)するために現実に根拠(理屈)を求めます。そして、その根拠を見つけられず、苦しみ果てて辿り着く先がこのスピ業界であります。ここでは認識が先で根拠が後というのが業界ルールですが、娑婆気が抜け切らないエゴは業界内でも気付きや体感という根拠を求めて彷徨い始めます。それはとどの詰まり、何かの根拠にすがらなければ認識を起こせないという業界デビューする以前のエゴの在り方と何ら変わるものではありません。

根拠や確証を求めるということは、それが現れなければ実現を許可しないという一種の意思表明(条件付け)であり、それはつまり、世界の創造主(「自分=世界」)という主体性の放棄であります(厳密に言えば、エゴ(個人)の設定した条件下での制限された創造となります)ですので、望む世界が見たいのであれば、現実や気付き、体感さえも思い切って放棄して、ただそのように世界を眺め、そう在ることです。

内面では根拠に頼ることなく、自由に何かを描くことができます。内面とは世界そのものですから、本来は根拠を要さず世界を創造できるわけです。意を決めて拠と決別することで、そのような根拠を必要としない本来の自由な創造を取り戻すことができるのです。

現在行われている夏の甲子園にかこつけて申し上げますと、打者やカウントを気にせず、とにかくキャッチャーミット目がけてストレートを投げ込む。たった、これだけなんです!

ナレーター「このブログは全国高校野球選手権大会を応援しています」

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