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【読者のお悩み相談室(在庫一掃セール)】~現実的な行動を手放せない?~

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勉強モーニング娘。の吉澤ひとみ元メンバー(ファンの方への自主配慮)が酒気帯びとひき逃げのコンボで御用となりました。いくらデビュー曲が「モーニングコーヒー」だったからと言って、それを勝手に「モーニングチューハイ」にしちゃダメでしょう(本人は寝る前に飲んだと言っていますが、検出されたアルコールの数値から朝まで飲んでいた可能性が大)。百歩譲って、ひいてしまったことは仕方がないとして、そこから逃げちゃうのはいささかマズかったですね。飲酒の自覚があり動転していたのでしょうが。ただ、ドライブレコーダーの衝突映像で、ひき逃げた後の次の赤信号では律儀に停止するというちぐはぐな遵法精神には少しジワジワくるものがありました。「酒は飲んでも飲まれるな」と「焼き肉焼いても家焼くな」はまさに至言であります。

さて、今回もご相談の在庫一掃セールであります。相談者さまはさんです。

目指している職業があるのですが、それが資格職のため、どうしても合格が欲しいのです。こちらが、ご相談したい方です。上の「在る」と矛盾するのではと思われるかもしれませんが、私の中では、働かなくてもあり余るお金持ち資産家だけど、喜びのために「仕事」をすることです。生活のためでなく、自分の信じる理想のために「仕事」をして、情熱の中で日々を過ごしたい(でも、拘束時間は短い。いつでも辞められる。)というものです。

 ○職さまのブログよりヒントを得まして、もう合格しちゃった私で「在る」になり、合格したつもりの研修準備中のドキドキ・ワクワクを感じていました。しかし、資格試験は年1回しかなされないため、先日結果が出てがっかりしているところです。

 また来年受験するのですが、常識からすると、大学受験のように、出来ていないところとを補強して、勉強計画を立て、それをこなしていくという行動をすることになります。これは今まで散々やってきました。もう努力に疲れてへとへとなので、○職さまのブログにある潜在意識を活用した願望実現に頼るより他はありません。

 どういうふうに「在る」を設定したらよいのでしょうか。ほとんど勉強しなくても合格した私になって、満足感を感じるようにすればよいのでしょうか?また、合格した私で在り続ければ、日々の勉強の効率がアップするのでしょうか。もう合格したから、勉強はしないと投げ出してしまうことは、さすがに出来ません。

 これは長らく私の疑問です。婚活活動をしなくとも、理想の相手と幸せな日々を過ごしているという「在る」の実現は、十分に可能だと感じます。なぜかというと、理想の相手との出会いはどこにでもあるからです。また、食べる量に関わらず、スリムな私で「在る」も実現可能だと思います。世の中には、そういう方が沢山いますから。

 けど、受験に関しましては、合格後の私で「在る」になっていても、勉強を切り離して考えることがうまく行きません。どのように「在る」を設定すればよいのでしょうか、また、避けて通れない(と私には思える)勉強するといった現実的行動(努力)をどのようにすればようのでしょうか。どうか、アドバイスをお願いいたします。

 私は恋愛に関しては、全く願望を持っていません。なので、素敵な異性を見てもときめきません。スピリチュアルブログなどで、既婚者の彼と結婚したい(既婚者なので離婚等が必須)という願望を叶えたいというコメントをよく見かけます。そして、多くの方が、現実の彼は家族と幸せそうなのに、どうやったら彼と結婚した私になりますかと質問しています。恋愛願望のない私からすると、○職さまのブログに答えがそのまま書いてあるように思えます。現実はスルーして、彼と幸せな結婚生活をおくっている状態に「在る」になっていれば、そのうちそれが外側でも見えるようになると思います。また、彼と幸せな結婚生活をおくっている状態に「在る」であっても、既婚者の彼への働きかけ(例えば、プレゼントを贈るや、食事に誘うなど。)は一切必要ないと感じます。

 けど、受験だと、いくら合格した私に「在る」であっても、試験への現実的働きかけである勉強するといった行動を省略できないと感じます。ここを、どういう考え方で乗り切ればよいのでしょうか。過去記事で一番近かったのが、トレーニングなくマッチョになるというものだったと思います。しかし、私では、受験になると、上手く変換できません。

さんご本人も仰っているように、勉強を投げ出すことはもちろんお勧めしませんし、できないかと思います。おそらくかなりの達人か文科省の裏口入学のようなからくりがない限り、遊び暮らしたまま試験日当日を迎えることはできないのではないでしょうか。

ただ、勘違いして頂きたくないのは、現実的な行動も含めて全て潜在意識の表れだということです。つまり、勉強するということが最善だというシグナルがあるからそれをするのであって、それに対して凝り固まったスピ脳から内面に抵抗があるのにもかかわらず、「もう資格を取っているんだから勉強をする在り方ではダメだわ」と行動を放棄するというのは、それこそ不足(不自然)の在り方です。もちろん達人レベルに抵抗がゼロであるなら話は別ですが。

「既に叶った」在り方でなければダメだというスピ的思考を強く意識する余り、それと「現実的な行動を取らなくては」というエゴの衝動(認識)との間にジレンマを感じているようですが、「既に叶った」という在り方は「自分=世界」という真理における「なる」的な1つのアプローチですので、それにこだわる必要はありません。もっと「自分=世界」を柔軟に採用すべきです。

柔軟にとはある程度、現在の認識に沿ったアプローチです。過去のトレーニングの記事も、わざわざ念力で筋肉をつけようとするよりも、「筋肉をつけよう→筋トレ」という自然な流れ(関連付け)に乗った方がエゴに抵抗がなく、すぐに効果が出るのでそちらを採用したというものです。無論、念力で筋肉をつけられると認識が許容していたのなら、念力を使うかもしれません。

つまり、人によって認識の差がありますから、達人でもない人が達人の振る舞いを真似て、不自然かつエゴの抵抗を受けるようなアプローチをしたところで効果は期待できません。なるべくご自身の認識に沿うように、不自然にならない程度にスピを意識することがベターだと私は考えます。

Sさんの場合もご本人が吐露しているように「勉強→資格試験合格」という流れが抵抗なく認識に沿うものだと思われます。ですので、私は個人的に

合格した私で在り続ければ、日々の勉強の効率がアップする

これに近いアプローチがいいのではないかと思います。勉強にヘトヘトになって辛いかもしれませんが、ご自身が勉強は必須だという認識を離れられないのであれば、その「勉強→資格試験合格」という時間軸を採用して「自分=世界」のルールに組み込むしか手はありませんし、それが然な在り方であり、最善です。その上で、合格した自分が過去を振り返っている体で勉強をしている自分を眺める感覚で取り組んでみるのはいかがでしょうか。

かなり個人的で主観的な思いを述べさせて頂きますと、東大なり弁護士なり難関試験を合格する人に対してリスペクトを感じる部分は、合格したという結果ではなく、それまでの努力の過程に向けられるものだと思います。これは努力が必要だと言いたいのではなく、合格をもぎ取っていない段階のそれに向かって努力をしている姿そのものに何かしらの素晴らしさを感じるということです。

勉強をされているご本人は泥水を啜るような辛さかも知れませんが、傍から見ればキラキラと輝いているように見えます。その傍から見た視線を叶った自分に置き換えて、「あの頃はがんばっていたなぁ」的に眺めてみるのです。すると勉強している自分が少し愛しく感じませんか? 感じなければすみません。

要は自分を責めないことなのです。資格を取っていない現状の自分はダメで、取れた自分は素晴らしいという境を作っていませんか? そうではありません。「今」、つまりいつだってあなたは素晴らしいのです。宇宙はどこまでいっても「今」(の連続)だけです。「今」素晴らしい自分でなければいつまで経っても素晴らしくないままです。「今」すぐ無条件に自分を肯定してあげてください。「今」素晴らしい自分であれば、現実もそれに沿ったものを提供してくれます。

ということで、また1つ在庫が処分できました。しかし、まだあるなぁ……。

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