「自分=世界」

思考を止めて、風になびけ!!

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なびく「風が強い日が好きなんだよね。風がなびくから」。遠い日に髪をかき上げながらそう言った知人の名言が、風の強い日には思い出されます。なびく方の風は「髪」だったのか、それとも彼なりの深い詩的表現だったのか、今となっては知る由もありません。今日、私が住んでいる地域は冬将軍さんが大暴れしたらしく、風がとても強かったです。まだ風が強い地域にお住まいの方は、風がなびきますのでくれぐれもご注意ください。

前回、願望実現メソッドはどうして続かないのか、私見を述べさせて頂きました。それにつきまして今一度、断って置きたいのですが、メソッドをして損はありません。すんなりと願望を実現された方もネット上で散見されますし、効果が実感できなくても、自分と向き合う機会が作れるということは、それだけで大変に有意義であります。私がメソッド否定論者ではないことを念頭に置いた上で、今後もお付き合い頂ければと思います。

今回からはエゴ氏説得大作戦を開始すると予告いたしました。説得する論点は一つです。いかに合理主義者のエゴ氏に「自分=世界」をロジカルに証明するかということです。

「自分=願望」を理解するためのアプローチとしては、一般的には思考を止めることが推奨されています。思考を止めることで自己の虚構を暴き、自分と世界との間に境界はなく、もともと一つに溶け合っていたのだと気づかせるのです。自己の虚構性は「なる」の記事でも言及したのですが、無思考でいることでさらに認識を進め、自己がなければ他者もいないと看破し、対象のとれない世界はすなわち自分と一体だと知るのです。

言葉で説明すれば以上のようなことなのですが、一つ注意点があります。それは無思考をメソッド化しないことです。本来、無思考とは在り方なのですが、「自分=世界を体感して、願望を実現したい」という動機から出発しますと、メソッドにすり替わってしまいます。その結果、無思考でいなくてはと逆に思考まみれになり、世界と自分は切り離されたものだと元の殻に閉じ籠もってしまいます。ですので、「自分=世界を体感して、願望を実現したい」という動機すらも思考だと気づき、それすらも無思考でいてください。

思考を止めると言いましても狙ってすぐに止められる人は多くないと思います。始めは思考を止めようと意識せず、風呂や就寝前など一人の時に、ある一点を見つめたままボーっとする感じでいいかと思います。続けていれば、徐々に感覚として掴め、大きな気づきとして体感に落とし込めると思います。というわけで、これであなたも晴れてブッダです。これにて「こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!」―完。パチパチパチ……

と、そうは問屋が卸しません。悲しいかな、エゴはどうしても受け身という姿勢にストレスを感じてしまいます。ほとんどの人が気づきという天啓を待てずに、また俗界に戻ってしまうのです。「体感」は待てないのです。ではどうすればというお話ですが、それはまた次回ということで。お楽しみに。

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