俗に言う「認識の変更」編

「俗に言う『認識の変更』編」プロローグ

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蓮昨日、知人がお勧めする行列のできるラーメン屋に、昼の営業終了間際の行列のできていない時間帯にお邪魔いたしました。アルバイトのお姉さんの接客態度が素っ気なかったのは、忙しいランチタイムを乗り切り、締め作業もほぼ終えて一息つける、そんな時間帯に〇職が呑気な顔でもって暖簾をくぐってきたからでは決してなく、「はじめの一歩」が終局へ向かうと見せかけて、読者の顔をチラ見しながら探り探りの何だかわけのわからない展開へ引き延ばしていることへの憤慨の表れだと思われます。

 

お姉さん、お気持ちはよくわかります。悔しいかな、私もなぜか毎週、週刊少年マガジンを手に取ってしまうのです。ここにきて、このBL漫画は妙な中毒性を発揮しています。これが「森川ジョージ・マジック」なのでしょうか。

ま、それはいいとしまして、真面目な話に移りたいと思います。

当ブログは願望実現に特化し、所謂「悟り」の境地というものはブログの主題に含めておりません。なぜ、そのような方針であるかと申しますと、私の実体験からであります。

私は過去、日々会社に勤めることに虚無感を覚え、自由に生きたい(不労所得が欲しいということですが…)と願って、このスピリチュアル業界に足を踏み入れたのですが、例に漏れず願望実現メソッドなどに取り組んでも長続きせず、ならば悟ってみようと「認識の変更」なる言葉を覚えて瞑想などを試みるもうまくいかず、またメソッドに立ち返ってはすぐに挫折し、気分転換に再び悟りを求めてはエゴまみれになるといった、そんなスピ廃人生活を送っておりました。

願望を実現したいだけなのに、「願望入れ食い状態」という甘言に誘惑され、ずいぶんと回り道を食らってしまったのです。

ですので、読者のみなさまにはそんな私と同じ轍を踏ませないよう、願望実現に絞ったブログ運営を心がけていたのですが、ただ、そういった過誤はあくまでも私個人に限ったケースであり、それがみなさまに当てはまるかと言えば否であります。

願望実現に向けてメソッドをする中で自然に「認識の変更」がなされることもあるので、それのみを求めるアプローチは非効率だと感じる一方、右脳派の感覚的な人にとっては逆に手っ取り早いのではないかとも思い、ブログのネタが増えるという私個人の事情も加味し、当初の発願を曲げることを決意いたしました。

そのような経緯で「悟り」編をスタートさせるべく準備にかかっていたのですが、よくよく考えれば悟りと言っておきながら、私自身、悟りがどういった状態を指しているのか全く把握しておりません。ですので、悟りとは試合後のリング上でマイク・タイソンに正面から睨まれたボブ・サップの境地を言うのかも知れませんが、ここではその言葉を「認識の変更」に置き換えたいと思います。

その認識の変更という言葉もネット上を徘徊する限り明確な定義はなさそうでしたので、当ブログとしましては、ひとまず「願望が願望であることを保てない」という認識への変更という意味で定義しておきます。シリーズ名も「悟り」編を改め「俗に言う『認識の変更』編」となります。

ただ、ここで一つ断っておきたいのですが、「認識の変更=(現在の)願望実現」ではありません。認識が変更していけば自ずとエゴが磨滅していき、エゴが抱えていた願望も淘汰されるからです。しかし恐れることはありません。なぜなら、あなたが考える以上の最善を与えてくれるからです。

ピンポイントで現在の願望を叶えたいのであれば、メソッドを活用していく方が無難かと思います。ですので、「認識の変更」編は、あくまでも願望実現とは切り離して読んで頂ければと思います。

なるべく読者のみなさまにとって有意義な記事にしたいと思いますので、連続物ではなく随時更新という形になります。当ブログは基本、願望実現ブログですので、これからもそちらをメインとして運営していきますので、悟りを求めていない俗世にしがみつく凡夫のみなさま、今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。

-俗に言う「認識の変更」編

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