アルファポリス

「今」にある なる 俗に言う「認識の変更」編

「なる」を始めるその前に……

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何だか最近、あまり更新もしていないのに短期間でツイッターのフォロワーが増えたのですが、スピリチュアル界隈では(半)〇職さんブームが起きているのでしょうか? まあ、増えたと言っても5、6人なのですが……。リンゴさんもツイッター経由でご訪問されたということで、ようこそいらっしゃいました。この頃は怠けてばかりの廃墟ブログですが、よろしくお願いします。

メソッドで「なる」というヤツがありますが、廃人の皆さんなら一度は実践して挫折した人も多いのではないでしょうか。

これほどシンプルでウキウキするメソッドはないので、エゴさんがすぐに飛びついちゃうんですね。私もそうでした。ただ、エゴさんがウキウキする時ほど要注意なんです。ウキウキしていざなってみると現実は何も変わり映えせず、ウキウキした分、エゴの失望は深くなってしまうからです。

なった後の景色(現実)は既になった(実現した)世界だと言われても、エゴさん(個人意識)には理解ができないため、またいつもの立ち位置に戻ってしまうんですね。

なぜ戻るのかというと、やはり景色に意味を持たせているからなんです。その景色が何か強大な力を持っていると錯覚しているため、内面への干渉を許してしまうのです。

実践をする前ではあれほど簡単そうに見えた「なる」が、実践をした後では超絶に難関なメソッドと化すんですね。シンプル故に難しいというヤツですが、ただ、段階を踏めばそうは難しくもありません。

「なる」とはそもそも普段、皆さんが自分になっていることから、すごく自然な行為なんです。それがこの世の真理といってもいいぐらいに。どんな悲惨な現実であろうが嬉しい現実であろうが、皆さんは自分であることを取り消すことはないでしょう。

それは自分と景色との関連付けを行っていないからです。そしてこの景色と内面との関連付けがない状態、もっと言えば内面が主で景色が従である状態が本来の構図なのです。


ここに気付ければ「なる」がブレることはありません。景色に惑わされることがなくなります。というか、もうそれは認識の変更です。

気付くためにはやはり、「今」にあることです。「今」にある習慣を身につけて、湧き上がってくる思考で、どれだけフラットな景色が汚染されていたのかを知るのです。

それは思考というものが如何に自分の世界を創出してきたのかを知る行為でもあります。少し試行錯誤をして、コツを掴めればわかります。まんま思考=世界です。毎日、10分程度でもかまいません。静かな時に「今」にある習慣をつけてください。ただ少しの間、自分をこの世界から抹消して、見える景色をボーっと眺めるだけで十分です。

感覚としては「自分(思考)=世界」とは矛盾するようですが、内面と景色が分離してるような感覚です。これは先述した、「景色と内面の関連付けがない状態、もっと言えば内面が主で景色が従である状態が本来の構図なのです」の体感です。

内面が独立しているような、全てであるような感じで、景色はただそこに在るといった感覚です。ただ映像がそこに在るような、リアルな3Dだった景色が学芸会などで使うような下手な背景画のように意味がなさなくなり、そうするとその景色が自分の内面の決定に干渉してくるほどの力がないとわかってくるのです(景色すらも自分の思考(認識)の影響下であるといった感覚が近いかもです)

「もう景色は景色で勝手に流れてていいよ。おれはもう自分の道を行くから」といった感じで、内面で全てが完結しているような感覚なのです。モーゼの十戒のように、景色という海が内面の力で割れていくようなものです。

ごちゃごちゃと「感じ」やら「感覚」やらを多用したため、言葉で聞くとややこしく感じるかも知れませんが、「なる」前に一旦、「今」にあって景色の薄っぺらさに気付くと、「なる」がすんなりと実践できますよというお話しです。

実践というか「なった」ら、もう既に叶ってるじゃんと腑に落ちます。当たり前です。景色という阻害要因がなくなったわけですから。直結とも言えますね。

薄っぺらい景色をリアルな3Dにしている従来の思考に気付くだけです。難しくはありません。

 

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