今今メソッド

「今」と「現実」、君の名は。

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水泳突然ですが、ツイッターを始めました。ツイッターとブログを連動させることで、さらなるアクセス増加が見込めると、どこかのメガネブロガーさんが書いていたのを思い出したからです。そのおかげで、私には少々オシャレ過ぎるかと自重していたツイッターにも思い切って踏み出すことができ、その余勢を駆って今度はメガネ男子にも挑戦しようかと画策中でございます。どのサイトの運営者さまかは今となっては「君の名は。」(SEO対策でタイトルに使うためにねじ込みました)状態のために特定が困難ですので、とりあえず全世界のメガネブロガーのみなさんにお礼を申し上げたいと思います。

 

早いもので今年もはや5日目ですが、みなさんはいつからお仕事なんですかね? 私は〇職を開始しましたので、そういった社会習慣には囚われず、童心に返ったように正月気分を満喫しています。とは言いましても、私も昨年の紅葉の頃までは人並みのリーマンでしたから、仕事始めの憂鬱さは大いにみなさんと共感するところであります。何もこれは大人に限った話ではなく、児童や学生諸君にとってもこの時期は、年末から年始にかけてのウキウキモードが急速に萎み始める頃かと思います。

「嫌なことから逃げるな」。人は一生のうちで何度か、親や教師からこの言葉を浴びせられたことがあると思います。しかし、よくよく考えてみればわかることなのですが、本当に嫌なことから逃げられる人ってのは少数派なんです。ほとんどの人は嫌なことから逃れられないのです。嫌なことに蓋ができるほど強くはないのです。そのいい例が上に書いたことです。

まだ正月休み中にも関わらず、すでに頭の中は仕事に浸食され始め、気分まで重くなってしまっています。私は小学生の頃、水泳が苦手でした。週明けに水泳の授業があると、日曜日の夕方頃からそわそわとし始め、夜にもなると沈痛な心持ちで息継ぎのシミュレーションなどをしていたのを覚えています。

しかしですね、その時点ではまだ日曜日のはずで、ウキウキホリデーのまっただ中なのです。にも関わらず、頭の中では必死にプールという天敵と格闘しているのです。はたして、この時、幼い私の現実はどこにあったのでしょうか?

”今、現に事実として存在している事柄・状態„―「現実」を辞書で調べてみるとこう定義されていました。上記の例で言えば、事実として存在しているのは、何も起こっていないのどかな休日です。しかし、幼い私が直面していた現実は、激しい荒波がぶつかる大しけのプールだったのです。

幼い私に限らず、現在の私や読者の方々も、ほとんどの時間、現実には生きていません。辞書で定義するところの現実とは「今」なのです。しかし私たちは、その「今」を記憶やら想像やら、つまりエゴで無意識に着色して「今」とは違った「現実」を体験しています。つまり「今」ではなく、「過去」や「未来」という妄想の中を遊泳しているわけなのです。

その遊泳が人間の演じる喜劇(悲劇?)の端緒となっているのですが、続きは次回に譲ります。

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