「自分=世界」

潜在意識的スポーツ観戦!!

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スポーツその事件は10月13日、新潟競馬場の第6レースで発生しました。ダートコースを一周半する2500mのレースで、2番人気ペイシャエリートに騎乗しておりました山田敬士さんはスタート直後からスパートして、一周目の直線でなぜか馬に鞭を振るい、追いまくった挙句ゴール板を通過し、そのままスピードを緩めて走路を外に取ってしまいました。するとしばらくしてスピードを保ったままの他の馬の一群が内側を通過していくのが目に入り、そこで山田さんは事の重大性に気付いたのか、慌ててまた余力のない馬に鞭をかまして華麗な動物虐待を行ったのですが、当然のごとく最下位での入線となりました。

どうやら本人は1000mのレースと勘違いしていたらしく、次のレースから即騎乗停止となってしまいました。ただ不幸中の幸いなのが、勘違いゴールの直後にガッツポーズをしなかったことですかね。していたらそれこそ笑いものでしたが、現時点でもかなり笑いものなので、そう大差はなさそうですが。しかしこの山田さん、今年がデビュー年度とまだ年若く、大物とは往々にして周囲を驚愕させるものでありますから、これを糧に名ジョッキーへと変貌して本当の笑い話にして欲しいものです。

そういう私は馬券などを買ったことがないタチでありますが、さんからこういった勝負事に関するご質問を頂きました。

はじめまして。
ブログ主さんはここでの読者の書いている悩みはほとんどがブログ主さんにも経験がある内容だと仰せですが、果たして私の悩みはどうなんでしょうか?

たとえば私の悩みの内容はまさにこの記事に出てくる阪神タイガースではないですが、
あるプロスポーツのチームを応援していて良い結果が出なければ、とてもイライラしたりするということです。
このような世界情勢に対する願望も本気で叶えたいと思ってしまうので困ってます。
というのも、こういう願望についてのサンプルにはめったにお目にかかれないので。

こういう世界情勢に対する願望については一体どう対処したらいいんでしょうかね?
自分のことではないとはいえ、
良い結果にならなければ自分のことのように悔しくなります。本能的に。

そしてホ・オポノポノというのは知ってますかね?
この方法では他人の問題も解決できるというので、こういう話も聞いてる以上、あきらめることもできません。


私の個人的な見解ですが、この手のお悩みは強弱の度合いはあるものの、一定数の方が持っておられるのではないかと思います。

ちなみにこれについては私にも経験がございまして、何のスポーツかは伏せておきますが15年ほど前のお話しです(私の本当のスポーツの嗜好を書きますと、私を知っている人間であればおそらく特定されるリスクがあるので。ちなみにサッカーではありません)。私が熱心に追っかけていましたスポーツでは日本人選手の競技力はそう高いとは言えないものでした。「あー、第一線で日本人も活躍しないかな……」なんて思っていたのですが、今現在のそのスポーツの勢力図を見てみますと、日本人選手が世界的にも注目され、トップ選手の輩出国の一つとなっております。

本当に昔とは隔世の感に堪えないのですが、ただこれは何も私が意図をしてそのように世界を変貌させたつもりはなく、もちろん嘆いていた15年前には潜在意識のセの字も知らない時でした。しかしこの話に無理やり潜在意識的な尾ヒレをつけるわけではないのですが、ずっと私が現在までそのスポーツを追いかけていたと言えばそうではなく、つい数年前までの5、6年は興味の熱が下がっておりました。

で、振り返ってみますと、私の興味が薄れていたその期間に日本人選手の実力が底上げされ、現在に至っているわけです。これは俗に言う執着が取れたからというヤツかどうかはわかりませんが、一応そういった事実があることも確かであります。

ただスポーツファンというものはどうしても観戦を目的とするため、そのチームや選手に「行け! 走れ! 勝て!」などとその対象(現実)に変化を求めてしまいます。これはまさしく典型的な不足の在り方となりますので、そういった意味では潜在意識的に正面きってアプローチしていくのであれば、これほどジレンマのあるものはないような気もします。「負けるな! 負けるな!」と応援すればするほど、潜在意識的には遠ざかる行為となります。ただ、これはあくまでも潜在意識の構造上の話です。

それでもただ勝ち負けに徹し、勝ちという結果を得るために潜在意識的なアプローチを貫徹するなら、少しずつその応援しているチームなり選手なりから同化を薄めて、試合結果に一喜一憂することなく、贔屓の選手やチームが常勝軍団であることをただ認識していく方向に意識を持っていくしかないでしょうね。スポーツに限らず、身近な好きな人や物、大きな世界情勢でもその対象に対するアプローチは同じです。対象(世界)を変えるのではなく、それに執着をして不足をじっと握りしめている自分を変えていくのです。自分の認識を変えることで自ずと対象が変わっていくのです。全ての起点は現実ではなく自分です。

しかし、それでは勝敗にハラハラするスポーツ観戦という醍醐味が薄れてしまいますね。やはり人は無意識にそのハラハラを味わいたいがために、スポーツを観戦しているのです。そのハラハラを提供してくれるのが贔屓の選手であったりチームであったりするわけで、そのハラハラがある故に、負ければ悔しさが出てくるのです。悔しいとはつまり、スポーツを存分に堪能しているという証左であります。謂わば必要悪です。また観戦することで勝利の喜びを含め、その悔しさ以上のものを得ているとも言えるのではないでしょうか。そして、はじめからそれを望んでいたのではないでしょうか。

ちなみホ・オポノポノに関しては詳しくありません。

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