「自分=世界」

俺が世界のルールブックだ!! 

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サッカー場この週末は実家に帰省しているのですが、前回の冒頭に触れたついでに押し入れにしまってあった『キャプテン翼』(初めのシリーズ)に久しぶりに目を通してみました。世界中にファンを持つ名作サッカー漫画なだけに、読み返してみても絵に迫力があり、さすがに面白いですね。ただ、私の心が社会に揉まれ童心を失ってしまったせいか、幼少時には気にならなかった癖のある描写が、いちいち私の笑いのツボを突いてきました。

例えば、前回も言及しました「カルツ君」ですが、彼は西ドイツ人(当時)でありながら、しゃくれた「ドカベン」のような容貌で常に爪楊枝を咥えています。その斬新なキャラ設定だけでもジワジワくるのですが、その彼が持ち技である「ハリネズミドリブル」を繰り出す時に、

「どけ、今のワシにちかよるんじゃねェ!」

と、なぜかワシという一人称を使ってシャウトするのですが、

いやいやサッカーだしwww

ボールを奪い合うというサッカーの競技性の根幹を揺るがす高橋陽一(作者)節にかなり困惑させられましたが、このカルツ君の絶叫は、常識というものに縛られている私たちへある示唆を与えてくれます。

サッカーとはスポーツですから、当然ルールの上に試合が成り立っています。基本はキーパーを除いて選手たちは手を使えません。しかし試合中、実際にボールを手で触れられないかと言えば、そうではありません。催眠に掛かっていない限り、反則にはなりますが現実としてボールを手に取ってラグビーのように走れるわけです。ボールを奪い合う過程で頻繁に体をぶつけ合うスポーツですが、それでも口は塞がっていませんので、空気を読まなければ「今のワシにちかよるんじゃねェ!」という発言はできるのです。


これを我々の日常に置き換えてみましょう。「彼氏が欲しいなぁ」と願望が湧いた時、思考が瞬時にそこへ辿り着くためのルートを勝手に作り出します。「合コンに行って、お目当ての男を見つけて、LINEを交換して、何回かデートを重ねて、告白されて」と、最短ルートであってもそのような過程を経なければと概算を計上します。これがそのまま我々の世界のルールとなります。

常識や記憶を由来としたルールを無意識に自分に適用しているのです。しかし、ルールなんてものは実際に視認できる類のものではありません。ただの観念です。その観念を認識として採用しているから、そのような過程を経ないと彼氏ができないという世界を作ってしまっているのです。

サッカーは複数の選手たちがルールを共有、順守することで試合が成立しています。ですので、仮に1人の選手がルールを逸脱したとしてもその選手が退場になるだけで、試合それ自体のルールが変わるということはありません。

しかし、自分が作った世界のルールは自分のみに適用されています。自分とは世界そのものです。自分の世界を認識しているのは自分だけなのです。

ならば、既存のルールを破ってしまえばいいのです。ルールが適用されているのは自分(=世界)だけなんですから、自分がそれを破れば、世界も変わるのです。

ルールを破った上で、カルツ君の生き様を参考に、

「すれ違ったイケメンから急に告白される」

という常識や記憶に縛られない新しいルールを作って、自分(=世界)に適用すればいいだけなのです。

最後に、プロ野球の審判員だった故二出川延明氏の名言を拝借しまして、結びの言葉に代えさせて頂きます。

俺がルールブックだ!

-「自分=世界」

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