「自分=世界」

明けましておめでとうございます! (半)〇職さんは生きています!

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新年遅くなりましたが、皆さま、明けましておめでとうございます。更新がしばらく途絶えていたのですが、年末年始をゴーン容疑者のように勾留されていたわけでも路上で凍死していたわけでもありません。これもひとえに私の怠慢に帰するところであります。申し訳ありません。ブログから離れていますとブログニスト(久しぶりに使ったな)としての自分が薄れ、どういった要領で文章を書いていたのか、感覚が取り戻せません。ですので、脈絡もなく適当に書き綴っていきます。

……だが、何も出てこねぇ(北島康介的な口調)。数カ月前はそこそこのモチベーションがあったのですが、今は正月気分が抜けず頭も回りません。あまり更新の間隔が広がるとますますブログから遠ざかっていきそうだったので無理やりノートパソコンを開脚したのですが、……出てこねぇ。

加えてショックな出来事がありまして、実は年末から年明けにかけて2つ嬉しいご報告を頂いて、これで記事が2本分稼げるぜ、グフフとしていたところ、メールを整理しようと思ってボーっと削除しながらゴミ箱なども一掃していましたら、私の思い違いでメールの振り分けを誤ってしまい、消えてなくなってしまいました。まあ、昨日の出来事なのですが……。Rさん、Sさん、すみません。ただ、一読させて頂き、個人的にお礼を返信した後だったのでよかったのですが、私のメンタルは深手を負ってしまいました。

ということで、困った時のコメント欄ということで、ぱすたさんからです。

あけましておめでとうございます。〇職さん、大分前ですが、コメントを記事に取り上げて頂いてありがとうございます。とても嬉しかったです。 あの後から、願望達成を報告出来るまで、1人で頑張ろうと思って、今日まで来ました。ブログのお陰で、願望はあまり叶ってませんが、この1年は随分と軽やかに過ごせました。ちなみに去年の4月に私も無職から半無職に変貌を遂げました。特に何もしていないので、確実に、このブログのおかげです。

ごめんなさい、ここから凄くネガティブなことなんですが、願いの一つが叶わなかったんです。 家族みんな健康で過ごす、ある意味1番の願いだったので、辛くて。私はペットを飼っているのですが、先日1匹亡くなってしまったんです。急に体調が悪くなってしまって。持ってあと2日と言われてたのを、1ヶ月近く頑張ってくれて、だいぶ回復してきてたのに。 もう明日には埋めてしまいます。 今は何を見ても悲しいです。泣き疲れて、落ち着いても、楽しい気分になってしまったら、犬が悲しんでしまうんじゃないかな、と思ってしまって、気分転換もままなりません。 もう生きるのが嫌になりました。 あの子がいないなら生きていたくない。残された子達もいるのに、立つのもやっとで散歩にも連れて行ってやれない。 自分=世界なら、自分の心持ちが悪かったから駄目だったのかな、もっと早く相談するべきだったかな、などと考えてしまいます。ぼんやりと自分=世界が分かりかけてて、現実もなんとなく自分に優しいな、と思っていた矢先です。
この前、荒らしの方に質問されていた時、〇職さんは、人の生死にも制限を付けていない、生きていた世界が再構築されるかもですね。と仰っていたので、書き込まさせて頂きました。 私はどうしても諦められないんです。 過去が変わる体験談も割とあるので、いけそうという気持ちもあります。私自身、時間が曖昧なのを肌で感じているので。 ただ、今のままでは、内面を変えるどころか、私の世界が終わってしまいそうな感じなので、〇職さんにアドバイス頂けたらな、と思います。 せっかく〇職さんが、半〇職になって八面六臂の働きをされてるのに、楽しい日々を過ごしていらっしゃるだろうに、すみません、こんなんで。 しかも長いし、これを読んだ皆さんも、嫌な気分になってしまったら、ごめんなさい。 お詫びと言ってはなんですが、皆さんの願いが叶うよう、祈っております。良い一日を。

 


見れば9日のコメントなので、この時と少しぱすたさんの心境も変わっているかもしれないですが、それにしてもぱすたさんはかなり情愛深く優しい方なのですね。

ただ、こういった生死に関する悲哀についてのスピ的なアドバイスともなりますと、どうしても血も涙も通わない感じにもなりかねないので難しいところなのですが、個人的には自分の感情を制限せず、気が済むまで悲しみまくればいいかと思います。生きるのも嫌になったのなら、その気持ちも受け止めて上げることです。いいか悪いか別にして、どんなに嬉しい感情も悲しい感情も、それが現実の反応である限り、その現実に慣れてしまうと感情もやはり停滞して、収縮していきます。

悲しみ自体に善し悪しもないので、どんどん悲しめばいいのです。そこに良し悪しをつけるのはエゴちゃんだけです。エゴちゃんは「悲しんでちゃ、この先も悲しい現実しか起こらない」なんていう制限をつけてきますが、とっぱらっちゃってください。「誰が何と言おうと悲しいんだから、悲しむだけ、フン! 私の世界なんだから自由にさせて!」。そう突っぱねてから、それでいて少しずつ、悲しみから感謝にシフトするようにしていくことが望ましいです

それほど悲しめるだけの存在と同じ時を過ごせたこと自体が奇跡だという感謝です。実は最近、私のプライベートでも知人の身内がなくなったのですが、知人は達観したように「悲しめるってことは、幸せなことだよね」的なことを言っていました。それほど亡くなった人(ペット)から生前に与えられたものが大きかったということですね。そこに目を向けていくのです。スピ的には充足に目を向けていく作業と言えるかもしれません。

私はどうしても諦められないんです。 過去が変わる体験談も割とあるので、いけそうという気持ちもあります。私自身、時間が曖昧なのを肌で感じているので。

後、ここの部分なのですが、過去を変えることを目的にしては難しいかと思います。これは逆に過去を変えなければ自分の心の整理をつけられないという制限を課すことでもありますので。過去が変わるというのはあくまでも過程の中の一つで、内面を突き詰めれば一番前にくるのは、幸せな自分、つまりあなた自身の在り方でしょう。(亡くなったペットが傍にいることで幸せな)自分の在り方を求めているわけです。どこまでいっても人は自分の在り方に帰結していくのです。

今は難しいかも知れませんが、先に決めるのは過去の改変ではなく、自分の在り方です。自分の在り方に制限をつけないことで、現実における現象も制限が外れてくるのです。あくまでも自分(内面)が出発点です。そして愛犬に対する思いは悲しみ(不足)よりも感謝(充足)を軸に足を踏み出すのです。それから後は世界の流れに任せていくだけです。その過程で過去が改変するかも知れないですし、また違った展開にことが運ぶかもしれません。幸せな自分であるために様々な可能性をオープンにしていくことです。

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