なる 「自分=世界」 「今」にある

フィルムを外すの? 外さないの? どっちなんだい!

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少しコメントからネタを採取します。

らすかるさんのコメントです。

ちなみにわたしもダラダラとはじめの一歩を追っております。
わたしは単行本派なので最新でどうなっているのか分からないのですが、
一歩がセコンドとしてのはじめの一歩を踏み出したあたりから記憶が薄くなっています。
鷹村・ホーク戦は震えましたけどねーだいぶ昔の話ですね。
このブログはもちろん継続してほしいですが、気が向いたらその華麗な筆致で
はじめの一歩考察ブログも書いてください。読者になります。

すみません…。私も引っ越した先の最寄りのコンビニが立ち読みができないように封がしてある店舗だったので、気付けばすっかり某ボクシング漫画のことを忘れておりました(忘れたところで何も失うものはありませんが)。

あのホ○ゾンビ(一歩)はまだセコンドという名のフリーターなのでしょうか? ボクシング漫画で途中に主人公がセコンドになる筋書きはなかなか斬新で、作者の森川ジョージ氏を少しは見直したのですが、ただ余りにセコンド期間が長過ぎると「真面目に描け、このヤロー!」という気も起こらないではないですね。

確かに私も「鷹村・ホーク戦」がピークだったような気がします。あそこから漫画としてはずっと下り坂ですが、20年ぐらい下り続けているで、このままだと地面を貫いて地下のマントルまでツッコミそうな勢いです。3カ月も下り坂なら普通は打ち切られそうなものですが、大御所と化した森川氏の看板作品ということで、編集部としても始末に負えないのかも知れません。

ということで『はじめの一歩』考察ブログの立ち上げは遠のいてしまいました。そういう当サイトも下り坂という点では『はじめの一歩』に引けを取りませんが、これからもよろしくお願いします。

続いてニキさん。

現実世界で経験したいことができた(願望)時、現実は変えられないのであればなるをしても意味がないと思うのですが?
なってしまえば現実がどうであろうとなってるんだから、内面では経験したことになるという解釈なのでしょうか?

私の書き方も言葉足らずでしたが、一応はエゴ目線が感じるところの願望実現ブログですので、もちろん現実が変わることを前提に話しております。でなきゃ、私も内面だけでホクホクしているだけでは、こんな暢気にブログを書ける身分でもなかったと思うので。

現実はどうしようもないというのは端的に言えば完成品だからです。映画でいうところの撮影済みのフィルムですね。もう撮影が終わっちゃってるんで、気に入らないと思ってもどうしようもありません。ですので、映画の中身を変更したければ、またスタジオに戻って撮影し直して、フィルムを取っ替えないといけないわけです。つまりこのスタジオが内面です。

でもその撮影する中身は何も今まで流していた映画の延長線上にある必要はなく、何の関連もなく好きなものを撮ればいいだけなのに、ここでまた前の映画の設定を引きずるから堂々巡りになるわけです。

で、個人的にはこのフィルムを入れ替える方法、つまり一端フィルムを映写機から外して上映を止めるやり方が「自己観察」や「今にある」で、逆に気に入らない映画を見ながらも、中身やアクションはそのままに自分で勝手に好きなテーマを設定していれば、次第に中身も変わって行くようなアプローチが「なる」かと思っております(「自分=世界」目線では瞬間的に現実は変わっています)。フィルムを外す手間などはないですが、その分、力技であるかなとは思います(行く着くところは同じです)。

ただ、突き詰めれば現実を見て「自己観察」や「なる」をしようとするのも結局、抗いようのないエゴの反応(現実の流れ)なのですが(その結果、願望が実現することも)、またややこしくなるので別の機会にします。

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