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俗に言う「認識の変更」編

不足という名の「既にある」!!

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オーラ読者の皆さまは「二刀流」と聞いて何を想像しますでしょうか? 日本球界の至宝で、今季メジャーリーグに殴り込みをかけた大正義、エンゼルス大谷翔平きゅんでしょうか? それとも漫画「刃牙道」でお馴染み(?)史上最強の剣豪・宮本武蔵でしょうか? 反射的に後者を思い浮かべてしまった、そんな時勢遅れのあなたには「昭和生まれのオッサン」認定を差し上げましょう。そして、昨年末から「〇職」と「ブログニスト」という相容れない概念を見事にケミストリーさせ、未来型「二刀流」を日々体現している私を想像された読者の方、あなたは致死量に近い重度のスピリチュアル廃人と見受けられます。スピリチュアル・カウンセラー江原啓之さんのオーラの泉を浴び、一刻も早く毒を以て毒を制すよう、ご進言申し上げます。

 

しかし、「スピリチュアル・カウンセラー」という肩書のうさん臭さは半端ないですね。私の中での「三大近づきたくない肩書」「ツイッタラー・ハルキスト・ブログニスト」で万全だったのですが、そこへ大外から一気に「スピリチュアル・カウンセラー」が割って入ってきましたので、入れ替え、または四天王化しようかと検討中でございます。

その肩書の主こと江原さんなのですが、彼の十八番は皆さまご承知の通り、人間のオーラの色を見分けるというものです。「おい、待て待て。色を見分けるって、なんで人間がオーラを放っていることが前提になっているんだ?」とテレビの前でツッコまれた方も多数いらっしゃったかと思われますが、私もオーラと耳にした時は、

どこのラオウですか?

と、頭が北斗神拳になりそうでした。

しかし、後年、お酒の席でそのような話題に触れた時に、嘘を言うような柄でもない知人が「私もたまにオーラが見えるよ」と真顔で告白したものですから、「そんなこともあるのかなぁ」と私も少し常識の緒を緩めるようになりました。

そして、現在の認識になった今、私のオーラに対する捉え方は、

有りやな

です。

オーラに限らず、幽霊でも宇宙人でもイエティでも北京原人でも、

その人が見たい世界を見ているだけ

なんですね。

見たいというのは渇望という意味ではなく、それが現実に在ることを許容できたという意味合いです。江原さんに関しては詳しい経緯は知りませんが、勘違いにせよ何かのきっかけでオーラのようなものが目に映り、そこに何かを見出そうと見続けた結果、オーラという存在(?)を許容し、現実化させて日常のものとしたのでしょう(全くの推測です。タダの詐欺師ではないことを祈ります)

視界にないものを見ようとする(不足と感じる現状を変えたいと充足を求める)場合、その充足(理想)がまず心の中に描き出されるはずです。でも、なぜ視界にないものを心の中に描けるのでしょう? それは、

不足があるからです

その欠落箇所(不足)を感じることができるということは、その欠落箇所に嵌っていたピース(充足)の存在を前提としなければなりません。つまり、充足と不足、両方の状態が完備してこそ、それが在ると認識できるわけです。ということは、一方の不足を体感できるということは、それは自動的に充足が在ることへの証明となります。元々「在った」から心に描けたわけです。そして「自分=世界」ですから、描けたものは現実に投影されるのです。

って、意味わかりますかね?

別に理解できなくても何ら問題はありません。「コンボで認識変更!!」の記事で予告していた「既にある」の言語化にさりげなく挑戦したのですが、書いているうちに私の頭もあべしのようになってきました。また少し違う切り口を探し、出直してきたいと思います。

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