「自分=世界」

「充足を見る」ってなんぞや?

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招き猫大谷翔平きゅんが止まらない! 打っては3試合連続の本塁打、投げては昨日(現地時間8日)の試合で7回1安打零封。それを受けた米メディアの掌返しも止まりません。「大谷はマイナーから始めるべきだ」と開幕前に酷評していたスポーツ専門メディア「ESPN」も一転「野球界が待っていた男」と、喧嘩でフルボッコにされた後に「よっしゃ、今日はこのへんにしといたろ」と言い放つ池乃めだか(吉本新喜劇役者)のギャグを思わせる変わり身であります。もはや米国ではキリストと比肩されるような衝撃を与えているそうですが、その活躍を複雑な心境で眺めている集団が大谷きゅんの母国・日本に存在しているとのことです。

彼らは主に関西地方に生息し、「愛虎無罪」を掲げる阪神タイガースの狂信者集団、トラキチのことです。彼らがなぜ大谷きゅんの活躍に葛藤を覚えているのかと申しますと、藤浪晋太郎氏という御仁があるためです。阪神の投手である藤浪氏は、高校時代の実績(甲子園、春夏連覇)では同学年の大谷きゅんを全く寄せ付けず、プロ入り後数年までの成績も決して劣るものではありませんでした。

それが去年からどういう認識の変化を起こしたのか、打者の頭部をキャッチャーミットに見立てて投球するようになり、試合だけではなくトラキチのメンタルをも破壊するようになりました。その破壊神が宿ったかのようなイップスには、かのどんでん氏もさぞお怒りかと思いきや、

どんでん氏「藤浪、何を力んでるんや(その目は優しかった)

ピンクの文字はデイリースポーツの記者の補完であります(意味不明な方は「どん語」でヤフってください)

しかし、あまり藤浪氏の負の側面ばかりを強調するのも生産的ではありませんので、彼の充足の部分も見るようにして、今後の活躍を期待したいと思います。

この「充足を見る」という表現、廃人の方々にはお馴染みのスピ用語なのですが、私には何か奥歯に物が挟まったような抽象さ故、廃人時代にはあまり関心を払うことがありませんでした。しかし今となってみれば、あくまでも私の解釈ではありますが、これはなかなか正鵠を射た言葉ではないかと感じています。

「充足を見る」とは、日々の暮らしの中で私たちがいかに願望を実現させているかに気付くことを指しているのだと思います、たぶん。

朝に目覚ましが鳴るのも「実現」、トイレの水が流れるのも「実現」、コーヒーをインスタントで手軽に飲めるのも「実現」、パンがトースターで焼けるのも「実現」、天気予報で天気をチェックできるのも「実現」……出勤するまでにも数え切れないほどの願望実現が潜んでいるのです。

「そんなの願望とは言えねぇよ」とお思いでしょう。仰る通りです。叶うものは願望とは言いません。これらは俗に言う「意図」であります。叶いづらいという属性はないのです。ただ、こんなことは皆さんもミニ耳タコでしょうから、私もここで深く言及するつもりはありません。

上述した些細なことにも意識して願望実現認定していきますと、1週間に数回(もっと多いかも知れませんが)、冷静に考えれば確率的にはあり得ないだろうという現象が現実に起こっていることに気が付きます。「大福が食べたいなぁ」と思っていたら人から譲り受けたなど、そういった意識していなければ偶然と吐き捨てていたであろう事柄を、充足を見ることで自分が創造したものではないかと顧みることができ、「自分=世界」が意識付けられていくのです。

私の場合ですと、「金と女が降ってきた物語―私が〇職になれた理由⑤ ~正の連鎖~」で紹介した先輩社員に毎日ランチをご馳走になったことなど、一般人ならラッキーで済ませていた事象を、「自分=世界」を実践していたこともあり、自分が創造したものだと認定していました。

そういった小さな成功体験をカウントすることで「願望=実現」という認識が強まり、そのことがまた次なる願望実現を呼び込みます。そして、そのような好循環が「自分=世界」というスピ業界の真理をも裏付けていきます。

「充足を見る」とはすなわち、「願望=実現」と「自分=世界」を実感させるある種のメソッドではないかと私は勝手に解釈しているのですが……発案者さん、どうでしょうか?

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